生と死

異常な暑さの今夏も、このごろ夜などは、微かに空気に変化が感じられるようになってきました。
祖先の霊を供養するお盆を迎えようとしています。
日常の喧騒から一時はなれて、たまには、お墓参りに出かけようと思っています。
物としての 肉体 はなくても、 魂である 精神 はそこにあります。
「生命(いのち)あるものは、必ず滅ぶ」
生まれた瞬間から死はそこにあります。
唯一永遠は、祖先から引き継いだ生命(いのち)を、懸命に生き、それを子孫につないでいくことで、魂をつないでいくことです。
こんなことを考えていると、 「今を懸命に生きる生活の中に、 死 というものが当たり前に意識できる社会」 でありたいと、願わずにはいられなくなってきます。
それは、 生 を見つめることと同じだからです。
私たちは、 死 から目を背けてきたことで、 生 を軽んじてきたのではないでしょうか?
死 とは、汚らわしく忌み嫌うものなのかを自らに問いかけながら、市民の皆さんには、人や物の最期の迎え方を問いかけていきたいと思っています。
三豊平野を一望できる、七宝山の裾野にある詫間家のお墓の前で、 なぜか、 『ゴミ処理施設』 や 『火葬場』 のことが頭の中を陽炎のように・・・・・