かなり以前のことになってしまいましたが、3週間ほど前の11月20日(日)に、高松市にある 『ぼっこ助産院』 に視察研修に行ってきました。
助産師さんたちが力を合わせて運営している、民間の助産施設です。
中心メンバーである山本文子さんは、若者に対する性教育のお話でも、思い切った発言をする強烈な個性を持った方です。
ここでは出産のみならず、産褥ケアや骨盤ケア、乳房ケア、育児相談など、出産から子育て指導までの、あらゆる活動を行っています。
この助産院を運営しているのが、NPO法人いのちの応援舎で、子育て支援の集いの広場事業や病後時保育も行っています。
また、高齢者デイサービス事業や傾聴ボランティアなどの活動も行っており、出産から高齢者福祉までの事業を幅広く手がけています。
ここでは、私が以前から漠然とイメージしていた、施設やサービスのつながりの形が現実に展開されているのです。
このような施設が三豊市にあったなら、日常の中で悩み苦しむ人たちが、どれほど救われるだろうかと思っていた形がそこにあるのです。
山本さんのお話を直に聞くにつけ、現代社会の産み育てることに対する意識の軽薄さに気付かされ、懺悔にも似た思いがこみ上げてきました。
山本さん自身、時々なんでこんな大変なことを始めたのだろうか、と後悔することがあるそうです。
止めることができるのならば止めたい、とも思うこともあるそうです。
しかし、止めないのは 『ぼっこ助産院』 で産みたいという母親がおり、それを見守る周囲からも、産んでくれてありがとう、産まれてきてくれてありがとうの思いが伝わってくるからだといいます。
まさにマンパワーであり、人の意思のなせることなのです。
また、こんなこともおっしゃっていました。
「自信を持って助産院ができるのは、香川大学医学部病院の先生方の親身の支援があるからです。緊急の場合にすぐに対応していただける、強い協力関係にあるからです。これが助産院の最大のリスク回避となり、妊婦さんにとっても安心して希望の出産に臨めるのです。助産院と嘱託医療機関の関係が最も難しく、この連携協力関係の支援調整は行政が関わらなければ困難ですよ。」
とのことでした。
女性が自らのいのちをかけた、いのちを産むという行為に対して、出産の方法を女性自らが選べないような現代の出産環境は異常であり、実は、そのこと自体がいのちに対する意識の鈍感さや軽薄さにつながっているのではないか・・・・・
現代日本社会の混迷は、いのちがうまれることの尊厳に思いをめぐらす機会のない日常に、起因しているのではないだろうか、との思いが私の中で強くなっています。
産み方の選択が普通にできる社会にしたいと考えています。
『玄牝』 上映会と、 『ぼっこ助産院』 が私に気付きを与えてくれています。