この前の日曜日にあった 『玄牝ーげんぴん』 上映会で私が強く感じたことは、これはライフワークになるということです。
今の社会が 「いのちを産む」 という行為に対して、あまりにも鈍感で軽薄になっているのではないかということです。
そもそも妊婦さんは病人ではありませんし、医療機関でなければ出産できないということでもありません。
今の出産のあり方がすべてだという固定観念ではなく、色んなかたちがあることのほうが自然なのではないかということです。
言うまでも無く、医療が無かった時代から、女性は太陽として連綿といのちをかけて子どもを産み続けてきました。
もちろん、すべての出産がうまくいったわけではなく、かなりの割合で不幸な出来事が発生したのは確かです。
しかし、現代は医療技術も驚異的に進歩し、その危機は極端に減少しています。
一方で、産科医の責任は過酷なものがあり、産科医師のなりてがいないという状態になっています。
今こそ、いのちを産むという行為に対して、医療の価値と役割を再確認するときではないかと思います。
危険が予測される出産にこそ医師は大きな力を発揮し、母子のいのちを守る役割を担ってくれるのです。
また、支障がないと診断された出産は、医療施設を使うまでもなく、例えば助産院や助産師さんのサポートによる出産を、選択できるなればよいのではないかと思うわけです。
万が一の非常事態のために、医療機関との間での緊急連携協定はなくてななりませんが、このような取り組みが可能ならば、現状、過度な労働とリスクに日々さらされている産科医の負担は、大幅に改善されるのではないかと期待できます。
また、妊婦さん側からすれば、お産は病院でするものという固定された考えから開放され、出産の方法を自分の意思で選択できるという可能性が広がります。
整った機器とサービスの病院の分娩台での出産や、所産院や助産師の手による家庭的な雰囲気のなかで、畳に敷いた布団の上での出産など、自らの思いや胎教に応じて、女性がいのちをかけた、いのちを産む行為の方法を自らが選択できるのです。
こんなことが普通にある社会をつくるために、私は生きたいと思っています。