3日間の日程で行いました総務教育常任委員会視察研修報告の最後は、隠岐國・海士町(おきのくに・あまちょう)です。
I・Uターンで日本一活力のあるまちとして脚光を浴びているこのまちは、島根県沖の日本海約60kmに浮かぶ隠岐諸島の一つです。
フェリーで約3時間もかかる不便だと思われる島が、なぜ若者に魅力のあるまちとなっているのか。
この謎の解明が、三豊市の未来のまちづくりの気付きにつながることを期待して、研修先に選定しました。
「職員が変われば役場が変わり、役場が変われば住民も変わり、住民が変われば地域(島)が変わる・・・それが地域再生の最大のポイントである。」
この考え方が海士町のまちづくりの原点です。
山内町長の就任により、平成の大合併の嵐が吹く中、単独町制を決断しました。
財政シミュレーションでは、平成22年には 「財政再建団体」 になるとの予測がされ、住民代表と町議会、行政が一体となって、島の生き残りをかけた 「海士町自立促進プラン」 を策定(H16)しました。
基本的戦略は、行財政改革によって 「守り」 を固める一方で、 「攻め」 の方策として新産業創出を推進する両面作戦でした。
先ず、生き残るための守りの戦略(短期戦略)として、 「自ら身を削らない改革は指示されない。」 の信念のもと、町長を筆頭に三役と議会、管理職の給与の自主減額を断行しました。
平行して、生き残るための攻めの戦略(中・長期戦略)として、地域資源を活かした新産業を創り、雇用の場を増やし、外貨を獲得することの一点突破の方針を定めました。
攻めの実行部隊となる、 【交流促進課(観光と定住対策)】 【地産地商課(第1次産業の振興)】 【産業創出課(新たな産業の創出)】 の、産業3課を設置しました。
これらを、町(島)の玄関で情報発信基地である港のターミナルのワンフロアーに置き、ニーズを肌で感じる現場重視の展開を行いました。(現場でしか知れないものを見落とすな)
この計画の指針となる 「地域再生計画(海士デパートメントストアプラン)」 を策定し、島全体をデパートの階層に見立てて、島の味覚や魅力を島まるごと全国に届けることとしました。
産業振興のキーワードを 『海』・『潮風』・『塩』 の三本柱にして、総合力でふるさと振興を目指しました。
最初からメイン・ターゲットを東京におき、厳しい評価を受けながらブランド化していきました。
この取り組みの中で、『海』では、「さざえカレー」や岩牡蠣「春香」、CAS冷凍による旬感凍結「活いか」が。
『潮風』では、島うまれ、島育ち「隠岐牛」が。
『塩』では、ミネラル豊富な「海士乃塩」をつかった、いくつかの伝統料理が生まれています。
I・Uターンの若者たちが地域産業として起業に挑戦し、地域経済活性化が特段に図られています。
地域活性化の条件は、
*自分たちの地域は自ら守り、地域の未来は自ら築く。・・・それが自治の原点である。
*地域の活性化の源は「交流」にある。・・・異質なものを取り入れ多様性を持ち互いに変化し成長する。
*若者・よそ者・馬鹿者がいれば地域は動く。・・・動けば必ず変わる。
*退路を断たれれば先に進むしかない。
*ハンデをアドバンテージに変える知恵を出す。
*活性化とは惰性の仕組みを変えること。・・・仕組みを変えるためにいかにエネルギーを使うかで可能となる。
最後に、地域活性化のキーマンである “ヨソ者” “若者” “バカ者” の、<もっているもの> <求めているもの> の話がありました。
<もっているもの>
新しい知識・スキル
エネルギー・やる気
しがらみのない柔軟な発想
<求めているもの>
チャンス・活躍の場
経験・知恵
人とのつながり
なのです。
海士町における視察研修で私たちが求めてきたのは、「いま、何をやっているのではなく、なぜ、今、それをやるようになったのか」 を知ることでした。
説明をしていただいた交流促進課の青山課長からいただいた名刺の 「ないものは何もない」 のキャッチコピーや、人工衛星にも応用されているmiura-oriのガイドマップ 『A MAP』 には驚きと感動を覚えました。
「ないものは何もない」 なんでもある
それとも、
「ないものは何もない」 ないもんは無いんじゃ!!
のどちらでもかまわない。
miura-oriなんだから500円で売ってもいいじゃないか。
そんな感性がこのまちの活力なのであろうと、人の力を思い知った動悸の高鳴る、船酔い寸前の研修でした。
今の三豊市は、 「何でもあるようで何もないような」 状態にあります。
私たちの意識を 「何もないようで何かあるような」 に切り替え、足元をしっかり見直すことの当たり前さを気付かされた、 「本当に来てよかった」 隠岐國・海士町の視察研修でした。
4回にわたってお伝えした、視察研修報告を終わります。