三豊市豊中町比地大の熊岡八幡神社付近に、市指定史跡の 「宮山窯跡」 があります。
三豊市教育委員会編集の 『三豊市の文化財 2009』 にも、歴史的にも、文化的にも興味深い古代のロマンをかき立てる史跡として紹介されています。
熊岡八幡の宮司さんである大宮益良さんを中心にした、地元有志の皆さんの長年の願いであった窯跡の発掘作業が、今夏の7月中旬から8月末までの予定で、国庫補助事業で実施されることとなりました。
「宮山窯跡」 の他の市内にある窯跡は、国指定史跡として整備が完了した 「宗吉瓦窯跡」 や 「二宮窯跡」、県指定史跡の 「歓喜院内の瓦窯跡」 、市指定史跡の 「手石場(てしば)の窯跡」 があり、古代政権との密接なつながりを物語っているようです。
「宗吉瓦窯跡」 は、7世紀後半の飛鳥時代の藤原京から、平城京の奈良へと時代が大きく変わろうとする時期のものです。
それに対して 「宮山窯跡」 は、昭和64年の発掘調査で多くの須恵器(1,000℃近くの高温で焼成)が発掘されており、高坏・器台・かめ 等、形や作陶技術(大陸伝来のものと酷似)が6世紀から7世紀にかかる古墳時代から飛鳥時代のものと推測され、市内の中にある窯跡では最古の可能性がます。
古代政権にとって、瀬戸内海に面する内海である当市北部地域は、当時の最先端技術の集積地であったのだと、さらに想像がふくらみます。
これまでの2回の発掘作業(昭和64年、平成8・9年)では窯跡本体が発見されていませんが、21世紀・2010年夏の発掘作業が、過去から未来へと確かな一歩となる発見にとなり、新たな三豊市の地域資源となることを期待しています。