三豊市観光協会総会が、平成27年6月1日(月)に開催されました。総会の前に、日本銀行高松支店大川支店長の講演がありました。三豊市の観光事業に対する示唆多いご提案をいただきました。「観光がうまくいかない地域は、地域創生もままならない」の言葉は、納得です。観光も地方創生も、このまちに住む私たちが、このまちの素晴らしさに気付き活かしていかなくてはならないことにおいて、まったく同じなのです。考え実践するのはこのまちに生きる私たちです。気づきを活かす力量が我々にあるのかが試されています。観光で交流人口を増やすことで三豊市を知ってもらい、それをきっかけに定住人口の増加へ結び付けていくことが、地方創生の一つの方向性なのかも知れません。
4月1日~5月31日の2か月間、三豊市文書館で春期企画展が開催されました。今回は、『三豊思い出写真帳Vol.4 ~旅する三豊~』 と題して、観光の歴史をたどる資料展示が行われました。
昭和23(1948)年に、荘内村の荘内第2中学校長であった三倉重太郎が、浦島伝承をまとめました。昭和26(1951)年に策定された、浦島観光施設計画案には、荘内半島・浦島伝承を中心とした、観光施設の計画案が示されています。例えば、善通寺から須田を経て船越(ふなのこし)までの鉄道や、詫間駅と仁尾を結ぶ遊覧バス、ゴルフ場、水族館等、これでもかというほどの夢いっぱいの観光施設構想がつづられています。しかし、この計画は、昭和30(1955)年の詫間町・粟島村との合併で頓挫したのでした。
この計画案と比較して、現代の私たちが描く観光計画は、ほとんど進化していないことに気付かされます。当時の人々は、現代の私たち以上に海を通して世界を知り、他とのちがいを認識することで、自分の住む地域に誇りを持ったのだと思います。荘内半島・紫雲出山が、【成田空港カレンダー】 【死ぬまでに行きたい世界の絶景 日本編】などに取り上げられています。よそ者に気付かれています。
私たちが力を合わせてやらなくてはならない気付かないことが、まだまだあるようです。「観光がうまくいかない地域は、地方創生もままならない」の言葉が、私の心に突き刺さっています。