父の死

平成21年1月8日 木曜日 午後3時58分 私の父親である詫間貞利(香川県伝統工芸士)が、まんのう町の永生病院で亡くなりました。
満76歳 享年78歳 4日後の12日に迎えるはずの77歳の誕生日を待たずしてのことでした。
倒れたすぐから近くに居た方々、救急隊員の皆さん、そして病院の先生や看護師さんなど、どなたもが誠心誠意最高の対応をして下さいましたが、それに答えることなく人生の幕を引くこととなりました。
それは突然のことでした。
地元のJA関係者と生産者の皆さんが集う、果樹部会の懇親会の最中でした。
その日の朝、この日のために用意したまっさらの服を着て出かけてゆきました。
「けっこいかっこしてどこいくんな?」(きれいな服着てどこへ行くんですか?)
「おお、農協の会でコンピラへ行って来るきにの」(琴平へ行って来るからな)
「おお」
これが私と父の最後の会話でした。
倒れたとの連絡を受け駆けつけたときには、すでに心肺停止の状態でした。
しかし、その顔は穏やかで寝ているようでもあり、今にも目覚めそうに映りました。
後で聞いた話ですが、そこで出された料理を「うまい」と言って全部たいらげていたそうで、満腹で幸せそのものだったのでしょう。
その場に居合わせた皆さんには、突発の出来事とはいえ貴重な時間を壊した上、お手を煩わせましたこと心苦しく、衷心よりお詫び申し上げたいと思います。
ただ、気の置けない多くの皆さんに囲まれたにぎやかな中で、最後を迎えられたことは何よりの喜びであったろうと思うに付け、感謝の気持ち一杯でなりません。
その日まで、家族にも痛いとも苦しいとも一言も話していませんでした。
父は、若い時から大きな病気一つせず、入院したこともなく、命に関わるような治療も受けていませんでした。
若いころから家業の土管製造業に携わり、力仕事と昼夜を問わない窯焼きや農作業にと、体を使い働き詰めだったことは間違いありません。
間際まで元気だっただけに、76歳は少し早かったのかも知れませんが、遣り残した事がないくらい自らの肉体を使い、生ききったのだと私は思っています。
そのように信じられるような、父の生き方でもありました。
私たち家族に手を掛けさせることもなく、あまりにも水臭い、しかし、あまりにも潔い(いさぎよい)最後であり、父の生き様そのままの、死に様だったと思っています。
「家族や親族のことはお前に任せたぞ  皆さんのためにしっかりやれよ」 と言っているのだとも思っています。
生前父がお世話になった皆様方には、今後とも変わらぬお付き合いをいただけますことを心からお願い申し上げ、お礼と再出発の決意といたします。