昨年から、古文書教室に通っています。
今日も午前中、2時間ほど豊中町上高野の文化センターで初心者コースがあり、古文書の勉強に取り組みました。
何回やっても進歩が実感としてない。本当に古文書が読めるようになるのだろうか。自分自身の努力不足を棚に上げて、そんなことばかりを思っています。
何事もそうなのですが、下手でも続けることで、ある時突然に気づき慧眼することがあります。進歩の度合いは人それぞれでしょうが、決して贅沢は申しません。少なくとも古文書の約束事と、崩し文字が私にとって身近な物となるようになればと思っています。
私が古文書を習おうと思ったわけは、ITの進歩でキーボードが常識の時代になればなるほど、手書き文字の希少性が重要となるであろうと感じたからです。
文化、歴史、伝統、そして昔の人の心、技術、口伝えなど、その他多くを手書き文字で伝承されているのです。文明が発達し、現代を伝承する手段が変わったとしても、過去を省みるのは伝統の技術であり、伝承の言葉であり、昔から伝わる生活習慣や手書きの古文書であったりするのです。
現代の日本社会の諸問題を見るとき、私たちの祖先とあまりにも異なることの多さに気づきます。
私は、日本人の精神は日本語そのものだと思っています。だから、私の発想の形が古文書に触れることで昔の日本人の心に少しでも近づくことだったのです。
平成17年7月「文字・活字文化振興法」が施行されました。
「目的」
文字・活字文化の振興策を推進し、知的で心豊かな国民生活および活力ある社会に寄与する。
「基本理念」
国民が等しく豊かな文字・活字文化の恵沢を受ける環境を整備する。国語が日本文化の基盤であることに配慮する。学校では言語力をはぐくむ。
「責務」
国や地方公共団体は文字・活字文化の振興策を策定し、実施する責務がある。
ほか、「地域での振興」・「国際交流」・「文字・活字文化の日(10月27日)」など明文化されています。
このようの法律を制定しなければならないのは、日本国民の心の中に当然だとしていたことがそうではないからこそあえて謳わなくてはならない事情があるのでしょう。
コピー機など存在しなかった時代の”今を残し伝える”手段。限られた時間に書き写さなければならないための崩し文字。その形が古文書です。
日本・郷土の歴史を顧みる。世界に誇る日本の歴史と神話も含め、三豊市に伝わる昔話や郷土史など、郷土を愛する心を育てるさまざまな可能性を感じています。
キーボードをたたくだけではなく、たまには筆を手にし本を読みましょうねということなのでしょう。
私は、ただひたすらいつ訪れるとも知れない慧眼のために黙々と古文書教室に通い続けるのみです。