地域活性のための地域資源再発見のまちあるき事業が、全国各地で盛んに行われています。
三豊市商工会婦人部による「三豊市まちあるき」が企画され、市内旧7町で随時行われています。
豊中地域では『本山寺周辺散策とちょっと寄り道“岡本焼”コース』が計画され、婦人部の皆さんや商工会職員の皆さんも準備とリハーサルで大忙しのようです。
4月23日と5月14日の2日間計画され、すでに1回目が実施され、七宝山の麓の私の家の土管工場跡にも、本山寺周辺散策の後に参加者の皆さんが訪れ、岡本焼の歴史や伝統技法を興味深く見聞していました。
「さぬき岡本焼」は1,332年、後醍醐天皇の皇子、宗良(むねなが)親王が詫間の地に訪れ、作陶技術が伝えられたと言われています。
日本史では、翌年の1,333年が後醍醐天皇による建武の新政の年に当たり、鎌倉から室町への激動の時代背景の中にあり、想像がふくらんできます。
帰来原から採れる酸化鉄を多く含む粘土によって、明治から大正にかけて農家の副業として「ほうろく」と呼ばれる日用雑器が多く作られました。
大正から昭和にかけては、土管や植木鉢が量産された他、大久保じん之丞の銅像で知られる織田朱越氏によって多くの楽焼美術品が作陶されました。
戦後、生活様式の著しい変化によって廃業が相次ぎ、我が家の土管製造所が唯一残ることとなり現在に至っています。
昭和61年に、「ひねり出し技法」と「塩釉焼締技法・低温焼成技法」で、岡本焼が香川県伝統的工芸品の指定を受けるとともに、平成6年に私の父が伝統工芸士の認定を受けています。
このような事ででも、地域の活性化のお手伝いができればよいと思っています。
この地に住む人々自らが、この地の良さを暖かく見つめ直し、自分を知ることがすべての始まりだと思います。
このような活動に協力は決して惜しまないつもりです。
5月14日お待ちしています。