建設経済視察研修(3)

研修の2日目(4日)は、福岡県朝倉市の「福岡県朝倉地域農業改良普及センター」での、“博多万能ねぎ”の生き残り戦略の研修から始まりました。
この地域での青ねぎ生産は、昭和30年代に筑後川の豊かな水と、肥沃な土を基に数戸の農家から始まりました。
昭和50年代に入り、暖冬による豊作で価格の下落した中、首都圏市場販売担当者は、驚くべきものを見たのです。
朝倉の青ねぎは、福岡市場で100グラムわずか20円に対し、江戸川区のあさつきは400円で取り引きされているのを目撃したのでした。
「生でよし、煮てよし、薬味によし」の朝倉ねぎもコンパクトで東京好みにすれば、首都圏市場で売れると気づいたのです。
折しも、山陽新幹線博多開通。
ブランド名を“福岡高級青ねぎ”から“博多万能ねぎ”と改名し、「博多」ブームに便乗した絶妙のネーミングとなりました。
さらに、日航との粘り強い交渉の末に「夕方出しても朝セリに間に合う」空輸を始めたのでした。
日航の鶴マークのついた新鮮で高級イメージの“博多万能ねぎ”が、青ねぎ市場を席巻することとなったのです。
フライト野菜の魁でした。
農産物の市場は「産地は動く」と言われています。
これまでの長年市場トップを守り続けてきた“博多万能ねぎ”も、バブル崩壊後安い輸入農産物や、国内の他産地に追われ、最盛期(平成5年)に販売高50億円有ったものが、平成13年には30億円を下回ったのでした。
この現状を打開するためにとられたのが「博多万能ねぎ産地の生き残り戦略」の展開でした。
平成13年、ねぎ部会や関係機関による「博多万能ねぎ産地プロジェクト」を立ち上げることから始まりました。
アンケートが実施され、販売額の急激な落ち込みの原因究明で、これまでの欠点が明らかになってきました。
①生産農家はブランド力に甘えた生産や販売を続けていた。
②産地として、省力化やコストダウンの改善への取り組みがおろそかにされ、過酷な労働環境におかれていた。
更なる分析の結果、ねぎ部会が農家(部会員)からの問題への対応ができず、部会への信頼感が低下しており、産地が崩壊するおそれのあることや、野菜の一担当だけでは限界があり、改良普及センターの総合力を活かした支援が不可欠であることが判明したのでした。
N(ねぎ)プロジェクトの取り組みは、平成14年度から普及指導計画の重点課題と位置づけられました。
産地がどんな目標を持つのかの、意識の統一に重点を置く取り組みが始まりました。
①個々の部会員の抱える問題点や課題を聞き取り、どんな農業をしたいのかによって、農家を3つのタイプに分類しました。
Aタイプ【企業的経営】   :目標所得 1,000万円以上      24戸 14%
Bタイプ【家族的経営】   :目標所得 500万円~1,000万円  56戸 32%
Cタイプ【やりがい的経営】 :目標所得 500万円以下        93戸 53%
それぞれの経営形態ごとに、個別相談会で経営改善支援を行うことで、農業所得の向上が図られました。
②部会員自らが課題解決できる生産者主体の、技術・労働・販売の3つのワーキンググループを立ち上げました。
普及員と農家がともに問題や課題解決できる「自ら考え、実践する産地」への変身へ一歩踏み出しました。
産地プロジェクトのこのような取り組みにより、年間3,000トンの出荷量で平成14年から売り上げ増へと転じています。
PR活動にも積極に取り組んでいます。
首都圏の小学校へビデオの食育教材の提供を行い、アンケートのお礼に給食用に「博多万能ねぎ」や、種を贈り理科の学習に役立てていただいています。
ひとつひとつの農家が産地の顔となり、地道な取り組みを受け継ぐ後継者が育っています。
「万能ねぎ産地は、かつての栄光に溺れることなく部会発足当時の原点に立ち帰り、消費者にとって本当にいいものをつくる」をコンセプトに、安全・安心な「博多万能ねぎ」づくりに、産地一丸となり新たな伝説づくりに挑戦しています。