4連休初日の5月3日に、久しぶりに家族四人で徳島方面へ、ちょっとふらりと出てきました。
高校2年生の娘と、中学3年生の息子の歴史の勉強にもなるか(たまには父親らしいこともしてよ!と言われています)と、勝手に思い目的地に決めました。
はじめに、美馬市脇町の“うだつの町並み“へ。
次に、鳴門市にある 映画「バルトの楽園(がくえん)」 の板東俘虜収容所ロケ村~歓喜の郷~を訪問。
その後、近くの藍住町にある「歴史館 藍の館」を訪れました。
“うだつの町並み”は、30年近く前に一度訪れたことがありました。
今の町並みは当時と同じ場所とは思えないほどに、生まれ変わっていました。
昭和63年に重要伝統的建造物群保存地区の選定を受け、整備されてきたのでした。
この脇町は、江戸から明治の時代にかけ、藍の集散地として栄えたところです。
この商いで成功し富を築いた商人たちは、競って“うだつ”を上げた立派な家を造りました。
“うだつ”は防火壁とも言われ、財産を類焼から守るための防火の役目をしており、自らを自らが守る力の象徴ともいえます。
このことから、一向に出世せず一人前にならないことを“うだつが上がらない”という諺が生まれたと言われています。
地元主婦の皆さんによる食改善グループのお店で、手作り豆腐とコンニャクの田楽を食べました。
古民家のわびの雰囲気と空腹も手伝ってか、子どもたちも食べ歩き番組のリポーターのごとく、「うめ~」のリアクションでした。
保存地区の東の端に、哀愁を感じる建物がありました。
平成8年に西田敏行主演で映画化された「虹をつかむ男」の舞台となった、脇町劇場(オデオン座)です。
「レンタルで観よう」と言いながら脇町を後にしました。
“バルトの楽園~歓喜の郷~”は、映画ロケ地としての魅力が十分に伝わる観光資源としての仕掛けを作っていました。
それは単にロケ地と言うだけではなく、史実に基づいた地域の底力とそれに支えられた観光ボランティアの活躍があるのは間違いのないことです。
第一次世界大戦のドイツ人捕虜約1,000人と、松江所長や板東の人々との心温まる交流など、学校の歴史教育では教えられない事実があったことを、ガイドの皆さんが地域の誇りとして語っていたからです。
第二次世界大戦は日独伊の三国同盟だったのは記憶にあったのですが、一次大戦が日英同盟であったことはすっかり忘れていました。
過去を振り返ることによって、記憶から消された事実に再び気づく作業は、時代が変わるほどに重要なことだと改めて思ったのでした。
「歴史館 藍の館」では、阿波藍の歴史と藍染めに触れることができました。
阿波の国が藍の産地になったのは徳島藩蜂須賀家の奨励があったことによりますが、そもそも吉野川があればこそのことでした。
藍は連作のきかない作物ですが、収穫時期後におこる吉野川の毎年の反乱によって、栄養分の高い土が堆積し連作が可能となっていたのです。
「藍住町歴史館 藍の郷」となっている、旧奥村家などの隆盛が長く続いたものの、明治後期にドイツからの大量の安価な人造藍が輸入され、たちまち衰退していったのです。
現在は、自然・住環境や健康問題と歩調を合わすように、天然藍が見直されています。
不思議なことに、板東俘虜収容所も藍もドイツ因縁の地だったのですね。
さらに、この歴史と文化は地域住民の力と融合し、独自の魅力を醸しているのです。
ふと、三豊市の「フルーツ王国みとよ」を思っていました。
私が常に思っている考えは、地域ブランドの育成には生産地としての情報発信ほか、地域の力(地力)の基盤強化を促す方策が必要だと言うことです。
農業参入に広く門戸を開き、農業の組織経営で起業する若手経営者の育成支援が求められる施策だと再認識したのでした。
わが子たちも勉強になったかな?
「虹をつかむ男」と合わせ、「バルトの楽園」のDVDも借りて観ようと話しています。