12月の第一日曜日である4日に、三豊市市民交流センターで、三豊市PTA連絡協議会並びに同子ども会育成連絡協議会、同青少年健全育成市民会議の主催で、NPO法人青空クラブ共催、三豊市教育委員会後援による、平成23年度青少年健全育成事業が開催されます。
市民会議が毎年行っている、絵画・標語優秀作品および善行者の表彰式があり、その後にここ数年は講師の先生をお招きしての、後援会の計画となっていました。
今年度は、諸事情のために後援会に替え、映画上映会となっています。
映画の題名は、河瀬直美監督のドキュメンタリー 『玄牝ーげんぴん』 です。
今年の5月6日付けのこの場に、 「『玄牝ーげんぴん』上映会の企て」 として、自主上映会の計画を秘かに考えていることを書きました。
その時は、NPO青空クラブの広報活動の一環として、保護者の皆さんや子育て中で大変なお母さんたちに、心が安らぐ一時をお届けしたいと思っていました。
思いがけず、本年度の青少年健全育成事業の講演会が中止になり、その代替案としてこれを提案したところ、やってみようということになったのです。
市子ども会育成連絡協議会長であり、NPO法人青空クラブ理事長でもある私にとっては、渡りに船のありがたいことであって、常日頃からの問題意識の大切さを改めて実感しています。
『玄牝』 は、河瀬監督が愛知県岡崎市にある産婦人科の吉村医院に、一年間をかけて通いつめ撮影した、ドキュメンタリー映画です。
吉村医院は、臨月の妊婦さんにも薪割りを勧め、自然分娩に相応しい体に導くなど、現代の出産のイメージからはかなり離れています。
ただ、私が感じたのは、白い壁と天井の病院の分娩台で出産することが当然であって、疑問すら感じない現状のほうが、ひょっとしたら異常なのではないかということです。
その上で、出産方法の選択の余地すらない現状は、 “いのち” というものに対する意識の軽薄さの結果なのではないのかという、懺悔にも似た思いです。
河瀬さんのこの映画についてのメッセージとして、
「お産をテーマにした映画というよりは、いのちのかたちを描いた映画でありたい」
とあります。
産まれるとは、産むとは、この世に生を授かるとは、生きるとは、そして “いのち” とはを、一人ひとりが感じていただければと願っています。
『玄牝』 という映画が、人を人として育てるとはどういうことなのかを、見つめ直すきっかけになって欲しいとも思っています。
ごみ処理問題調査特別委員会 視察研修
知恵とアイデアで、志布志市の環境政策は推進されています。
平成23年11月25日(金)、鹿児島県大隈半島の太平洋に面する位置にあるこのまちで、ごみ処理問題調査特別委員会の視察研修をおこないました。
三豊市では次期ごみ処理施設を、民設民営によるトンネルコンポスト方式とすることを決定して、現在、この条件にかなう、民間事業者からの公募を行っています。
詳細は、三豊市HPと11月13日のこの場でも報告をしていますので、ご確認ください。
従来の地方自治体の施設建設及び運営は、公設公営や公設民営が主流でした。
今回の三豊市の取り組みは、建設運営のすべてを民間に託そうとするものです。
この試みに対して、想像できる問題は予測されます。
その民間企業が倒産したらどうするのか? や、 実質独占状態となることで処理費用の値上げを要求されたりはしないか? などです。
だからといって、新たな取り組みに踏み込む時の、やってみて初めて見えるリスクに目を背けて、これまでのような高額な処理経費を漫然と受け入れることでよいのでしょうか。
むしろ、この方が楽なのでしょうが、あえて、財政や地方の独自性を考えるとき、新たな可能性を求めてチャレンジすることは、尊い価値があるのだろうと考えています。
志布志市は、平成18年に3町が合併して誕生しました。
合併以前からごみ焼却施設がなく、平成2年に事務組合を設立してすべてのごみを埋め立て処分していました。
平成16年度で、その処分場が一杯になるとのことで、合併前に参加町協議で新たなごみ処理施設の方式を検討することとなりました。
その結果、焼却施設建設には建設費約70億円、ランニングコスト約5億円/年が必要と試算されたため、徹底したごみの分別による埋め立てごみの削減を選択しました。
「混ぜればごみ!、分ければ資源!」
「面倒くさいのススメ」 を、住民とともに推進したのです。
現在の志布志市の分別収集は29品目に分かれ、大きく4つに分類されています。
① 資源ごみは、水洗いし乾かしたものを指定の資源回収袋に名前を書いて、資源ごみステーションに出します。
② 生ごみは、10件ほどに1ケバケツを支給し、週3回回収しています。
基本は、自分でコンポストや生ごみ処理機で処理をすることが第1で、できない人が利用する仕組みになっています。
③ 粗大ごみは、電話予約で個別収集し手作業で解体し、RPF化しています。
④ 一般ごみは、週1回収集し、直接埋め立てしています。
この市民と協力した取り組みによって、志布志市の埋め立てごみの量は、平成10年14,000t/年あったのが、生ごみ分別収集開始の平成16年を契機に10,000t/年となり、その内リサイクルごみが7,000~7,500t/年ほど、埋め立てごみは2,500t/年ほどとなり、なんと埋め立てごみは80%の削減となり、驚異的な削減に成功しました。
この結果、平成16年度で一杯になる予定だった処分場が、あと50年以上は利用可能となりました。
また、生ごみが持ち込まれなくなったおかげで、処分場の衛生面も改善されています。
このような取り組みによって、ごみ処理に要する経費に大きなメリットが生まれています。
ごみの総量10,000t/年に対し、再資源化された量が7,500t/年で、再資源化率75%で全国第2位となっています。
全国平均は20%ほどであることから、すばらしい成果を達成しています。
また、一人当たりのごみ処理費用は6,313円であり、全国平均の半分以下で、浮いた経費は教育や福祉に回すことができ、市民に還元されています。
バケツ回収された生ごみは、民間企業である(有)そおリサイクルセンターに処理委託されています。
そおリサイクルセンターでは、家庭生ごみと事業系生ごみに、草木剪定枝のチップを1対4の割合で混ぜるとともに、消臭発酵促進剤として蓬から抽出した液体を混入して、堆肥化しています。
処理単価は、生ごみ10.5円/Kg、草木剪定枝4.2円/Kgで、この価格決定は毎年度企業の決算書を公開し、それを基に市(関係自治体も含む)と企業が話し合って決定しています。
これまで行政が行うことが当然と考えられていた公共サービスが、民間に移行されるためには、行政と市民、そして民間のお互いの信頼なくしては成立しないのでしょう。
行政が民間に近寄り、民間が公共に踏み込むためには、市民を含めた行政と民間の伴に地域を考え地域に寄りそう協働の意識が欠かせないことを示しています。
民設民営によるごみ処理を行っている志布志市は、知恵とアイデアを持って、熱い気持ちで足で稼いで政策を実現しています。
行政や市民、民間企業の関係など、政策実現に向けて意識変革を実践しており、可能性を目の当たりにすることのできた研修でした。
閉会中の総務教育常任委員会・6
12月定例会開会予定の12月1日(木)を前にして、11月28日(月)に臨時会が開会されることとなっています。
ここのところ数年続いている、市職員給与の引き下げが議題となります。
これに先がけて12月18日(金)に開かれた総務教育常任委員会では、この件についての事前説明が行われました。
三豊市では人事委員会を設置していないことから、香川県人事委員会の勧告を基に、職員給与改定の検討を行っています。
県人事委員会勧告に準じて、
・月例給は、40歳以上の給料表の引き下げ改定を行います。(0.27%減額)
ただし、医療職は除きます。
・期末。勤勉手当(ボーナス)の改定はありません。
・以上のことによって発生する額の変動は、対象職員数408人で、12月~3月の4ヶ月間の総額で2,848千円の削減となります。
月平均の1人あたりの減額は1,745円となり、4ヶ月で6,980円となります。
臨時会での可決後、12月1日より改定給料表による減額を実施することなります。
他、この日の委員会で扱われた件は、バイオマス推進室からの 『定住対策事業』 についての、補助金交付要綱の改定と新事業の説明がされました。
市内業者による住宅の新築、または中古物件購入に補助する事業で、現行2千万円の1/20で100万円を上限とする規定を、新築・中古いずれもそれぞれ定額補助として、新たに中古に対してリフォームの補助事業を新設したいとの提案です。
受益者がかなり限定される施策であるため、なお一層手落ちのない制度とするため再検討することとしました。
新事業提案は、トライアル事業として体験交流事業を実施したいというもので、本年12月12日(月)に、生協コープかがわの理事数名を招いて、現地体験を通して三豊市の魅力を体感してもらうというものです。
小さな試みからコツコツと、一つ一つの積み上げが、気がつけば人の行き交う賑わいのあるまちになっているのでしょう・・・
議会広報委員会 視察研修・2
三豊市議会広報委員会の視察研修2日目は、大阪府泉南郡熊取町を訪問しました。
熊取町は大阪府の南部に位置し、関西国際空港に近い、大阪湾に向かって緩やかに傾斜する丘陵地にあります。
面積17.23k㎡で、旧豊中町(19k㎡)よりも狭いところに人口45,000人近く(旧豊中町12,000人)が住み、現在、第1次産業・第2次産業から第3次産業へ移行すると伴に、住宅地として開発されてきました。
熊取町議会では、平成20年の 「議会基本条例」 施行にあわせて、議会広報 『くまとり議会だより』 の発刊を開始しました。
町広報紙とは別冊の単独発行で、年4回の各17,000部発行しています。
配布方法は、町広報紙と同様に町内38自治会に手数料を払い、自治会単位で配布を依頼しています。
広報委員会として現在問題としているのは、町広報紙と同時配布ではあるものの、別冊のため興味のある町広報紙には目を通すが、議会広報紙まで読んでくれていないのではないかの点です。
議会基本条例施行まで熊取町には議会広報紙がなかったため、町民にまだ充分認知してもらえていないようです。
「『くまとり 議会だより』 が、町民にとって身近なものとなるまでは、町広報紙との同冊発行を行い、時機を見計らっての単独発行にすればよかったかも知れない」
とのお話は、三豊市議会広報紙の現状と、今後単独発行検討に向けての後押しになりました。
熊取町議会では議会基本条例に基づき、議会改革に取り組んでいます。
熊取町議会基本条例には、議会広報誌発行のほか、全会議(議運・全協も含む)の議案書提示による傍聴や、議会報告会の実施、政務調査費の公表、議案に対する各議員の賛否表示、議会だよりのモニター制度、議員定数改正の公聴会などの規定がされており、議会の更なる機能強化に努めています。
なお、インターネットを活用した広報として、委員会も含めた会議録のHP公開を行っています。
議会中継配信を現在検討中で、町民アンケートを行いテスト配信を考えています。
2日間の視察研修で、地域性や住民意識によって議会広報のあり方に色んな考え方のあることに気付かされました。
充実した議会広報活動ができるように、議会広報紙の単独発行への移行時機や、すでに議長に提案済みのインターネット録画配信実現にも、積極的に取り組んでいきたいと思っています。
議会広報委員会 視察研修・1
9月議会と12月議会の間の2ヶ月は、常任委員会や特別委員会などの視察研修が続いています。
11月9日(水)と10日(木)の2日間の日程で、和歌山県紀の川市と大阪府泉南郡熊取町での、三豊市議会広報委員会の視察研修を行いました。
目的は、 「議会広報紙の充実」 と、 「議会改革における広報公聴活動について」 です。
最初に訪問した紀の川市は、人口67,000人、面積228.24k㎡で、三豊市とほぼ同規模の類似自治体です。
議会広報紙 『こんにちわ 議会です』 は、近畿市町村広報紙コンクール優秀賞を受賞するなど、高い評価を受けています。
市広報紙とは別発行をおこなっており、多少の経費増が必要であったとしても、議会の意見や状況をしっかり伝えたいとの方針です。
配布の方法は、市広報紙と同便で、委託業者によって漏れなく全戸に届けられています。
現在三豊市で行っている自治会ごとの配布に対して、この方法は自治会未加入のすべての市民に公平に市及び議会の情報が届けられることにおいて、検討に値すると思います。
議会広報紙の役割は、市政の動きを伝えるにしても、決定に向けいかに審議されどのように決定されたのかを伝えることです。
決定したことや事後報告が主である市広報紙に対して、明らかに違いがあるということで、市広報紙に対して対抗心を持って編集に当たっています。
三豊市議会広報紙は、市広報紙と同冊となっているため、ページ数が限られ窮屈な条件の中で編集を行っています。
市広報紙とは別冊の単独による発行の有用性を再確認することができました。
紀の川市議会広報委員会の全委員出席による研修となり、議会広報紙編集発行に対する熱意が強く伝わってきました。
「編集に携わることで、多様な考え方があることに気付くと伴に、議員同士の勉強にもなっている。」 との言葉は、議会広報の本質的役割の一面を言い当てていると感じました。
次期ごみ処理業務委託候補者募集要項
9月28日付けのこの場でお伝えした、三豊市次期ごみ処理施設の方式を実現するために、11月7日(月)に開催されたごみ処理問題調査特別委員会では、 「三豊市次期ごみ処理業務委託候補者募集要領(案)」 の提案がされました。
すでに当特別委員会で決定した(議員全員が出席する全員協議会で鴨田委員長より報告済み)、
◎処理方式
トンネルコンポスト方式(固形燃料原料及び堆肥原料の製造)
◎運営方法
民設民営を基本とする
この2点を実現し、三豊市の “燃やせるごみ” の処理を任せることのできる、民間事業者の候補者を決定するためです。
募集実施スケジュールは、
平成23年11月17日(木)・・・募集開始(質疑の受付)
平成23年11月24日(木)PM5時・・・質疑の受付終了
平成23年12月1日(木)・・・質疑の回答
平成24年1月11日(水)PM5時・・・募集終了(提案書の提出期限)
平成24年1月17日(火)・・・ヒヤリング
平成24年1月19日(木)・・・募集結果の公表
となっています。
私は、三豊市単独での 「市税を投入したごみ処理施設建設」 は必要ないと考えています。
ただし、超広域(香川県の西半分)でのごみ処理施設は必要だと思っています。
基本的に、現社会のごみは大部分が、民間によってつくられた物が市民(国民)を経由して排出されているにすぎません。
それをなぜ、財政力の弱い基本自治体が処理の責任を負わなければならないのでしょうか。
カビの生えた時代に合わない法律がそこにあったとしても、それを糺し民は民で処理をする道筋をつけるべきなのです。
それだけの社会システムは、この日本では成熟しています。
それでも最終処分施設は必要です。
その時点で初めて市税の投入は許され、それそれの自治体が予算を出し合って、超広域による最新のごみ処理施設を建設すればよいのです。
その時のために、 “燃やせるごみ” を可能な限り減量し、超広域ごみ処理施設への搬入量を可能な限り減量化する必要があるのです。
その意味で、トンネルコンポト方式(段ボールコンポスト・EMボカシ巨大施設)は 市税をほとんど投入しない “燃やせるごみ” の減量化施設なのです。
三豊市民クラブ 視察研修・3
三豊市民クラブ会派の視察研修最終日である10月26日(水)は、(財)日本自治創造学会主催の 「第3回 2011年度 日本自治創造学会 仙台大会」 に参加しました。
本年度の大会は、3・11東日本大震災によって突きつけられた、地域の復興のための自治とは何かを研究するために、被災地である仙台市にある東北福祉大学を会場として開催されました。
東京大学教授(政治学)で東日本大震災復興構想会議・議長代理の御厨貴先生から 「大震災からの復興~復興ビジョンと政治の力」 で、 復興構想会議がどのような状況で進められたのかや、なぜ復興支援が遅れたのかのお話がありました。
管首相(当時)に復興に対する独自の考えがなかったことが大きな原因であるとのお話があり、このようなリーダー不在の混乱の中行われた復興会議だが、若き官僚たちは省庁の壁を取り払い、すばらしい働きをしてくれました。
今、復興に取り組む被災自治体が求める人材とは、国がどのような支援策を執ろうとしているのかの情報を入手するための、国と地方をつなぐ役割を担う者だ、とのお話をいただきました。
東京大学教授(都市工学)で農学博士の石川幹子先生からは 「復興ビジョンと共生のまちづくり」 で、2008年発生した中国四川大地震の現地調査と復興支援で導き出された 『ペアリング支援』 の考え方のお話がありました。
東日本大震災においても行われた、顔の見える支援の一つとして復興を持続的に支援する仕組みとしてこの考えが有効でした。
また、復興に向けた基本的な考え方や、多重防御によるインフラ整備の発想転換と、逃げる計画のお話がありました。
他、地方自治政策研究所理事長で前志木市長の穂坂邦夫先生から、 「復興のまちづくり、自治の再生」 のお話がありました。
後半には、被災自治体からの報告として、佐藤仁宮城県南三陸町長、山本正徳岩手県宮古市長からの、それぞれの 「被災実態と復興への挑戦」 が話されました。
当事者ならではの魂のこもった臨場感のある報告でした。
いずれのお話も、前日の午後の南三陸町、当日の午前の仙台空港周辺と名取市の被災現場を直にこの目で見た直後であっただけに、伝わるものは尋常ではありませんでした。
視察研修の何たるかを実感したのでした。
以上で、3日間の三豊市民クラブ会派 視察研修報告を終わります。
三豊市民クラブ 視察研修・2
三豊市民クラブ会派の視察研修2日目に訪問したのは、3・11東日本大震災で甚大な災害を被った宮城県の現地視察と、自らが被災したにもかかわらず、三陸沿岸の津波で壊滅した市町村の後方支援を行った登米市です。
都召し登米市は、宮城県北東部の内陸部にあり、人口85,000人、面積536K㎡で、北上川が市内に横たわり広大な肥沃な土地で、県内有数の穀倉地として 「ササニシキ」 「ヒトメボレ」 の産地として有名です。
研修の目的は、社会インフラの中でも最重要である水道事業の被害と復旧状況及び、災害時に備えるべき対応を学ぶためです。
登米市には7ヶ所の浄水場があり、3月11日の本震及び4月7日の余震で、すべての施設が停電破損し停止しました。
また、5月11日、8月13日の2回の余震においても、主要浄水場で保呂羽浄水場はその都度取水ポンプ故障が発生しました。
現在も、この浄水場のポンプは修繕中で、仮設取水施設で対応しています。
他の6ヵ所の内4施設は復旧済みですが、2施設は未だに復旧着手中です。
4ヵ所ある配水池は、緊急遮断弁の作動はしたものの、本震ですべての施設が何らかの被害を受け、破損漏水しました。
1ヵ所を除いて未だに復旧中です。
主要管は、本震と余震でほとんどが影響を被り、漏水が発生しました。
一部復旧はしているものの、ほとんどを仮設対応しています。
また、一般給水管では701ヵ所の漏水があり、復旧済みが632ヵ所、仮設30ヵ所、工事中39ヵ所となっています。
震災発生以来既に7ヶ月以上過ぎたこの時点においても、完全復旧にはまだまだ時間を要します。
これまでに水道関係の災害復旧に要した額は、3月22日の専決処分から臨時議会と6月・9月の3回の補正を合わせて、11億円以上となっています。
着手中の工事や仮設から復旧にかかる今後の事業費は、大幅に増加するものと考えられます。
水道料金は、基本料金を2分の1に減額し、使用が不能な市民に対しては、3月11日職権休止しており、給水開始申し込みがあるまで請求しないこととしています。
減免金額は、6,800万円を超えています。
また、給水装置工事は、罹災証明書に基づき、金額を減免しています。
その額は、3,000万円ほどです。
次に、今回の大災害を教訓としての震災対策についてです。
(1) 施設の耐震化は計画的な整備が必要であり、特に取水施設の耐震化は速やかな市民生活再生の根幹であるために、重要事業です。
(2) 過去発生した浄水場濁水事故で、災害訓練を実施していました。
平時の想定された事故に対する訓練が大いに役に立ったとはいえませんが、訓練していたことによって大きな混乱にならなかったことから、日頃の訓練が有効でであると考えられます。
(3) 水道事業所の職員だけでは、すべてに対応するのは不可能でした。
ただ、当市では 「水道事業料金徴収等管理業務委託」 を行っており、この受託業者及び管工事業協同組合と、災害応援協定を結んでいます。
さらに、本年4月1日から委託予定であった浄水施設管理運転業務受託者とも協定締結の予定であったため、人数の確保ができました。
他にも、災害協定を結んでいない事業者からも応援がありました。
これらのことから、大規模な断水発生時には人数の確保が必要であり、職員及び協定業者の震度5での自動召集も採用しています。
平時の召集・情報伝達訓練では、防災無線などの電源を必要とする通信手段が使用できますが、停電した場合まったく用を足さなくなります。
このような場合にも情報のやり取りができる方法(携帯メールや広報車など)を備えておく必要があります。
(4) 平時の災害マニュアルでは、市全域での断水は想定されていなかったため、給水活動が動き出すまでに混乱しました。
その解消のために、新たに1tタンクを20基常備しました。
自らも被災する中、南三陸町へ給水車を派遣し給水応援するなど登米市は後方支援拠点自治体として役割を果たしてきました。
研修の対応をしてくださった田口議長はじめ市職員の皆団には、未曾有の大災害などなかったような活力を感じました。
被災地での研修にたいして、出発前には賛否の様々な意見もありました。
しかしながら、研修の終わりにあった 「この現実を全国の皆さんに是非見に来て欲しい」 との言葉で、この地を研修先に選んだことが間違いではなかったことを確信しました。
登米市での学びを、三豊市の災害対策に活かし、無駄にしないように活用しなければならないと思います。
三豊市民クラブ 視察研修・1-②
地域医療セミナーの二人目の講師は、福井県おおい町国民健康保険名田庄診療所所長 中村伸一先生です。
過疎高齢化の著しい地域唯一の診療所で、20年近くの間、寄りそう医療を実践してきました。
その活動は、NHKのテレビ番組 『プロフェッショナル 仕事の流儀】 でも紹介されました。
「自宅で大往生~地域に寄りそう医療の形~」 の演題で、小野剛先生の取り組みとあわせ、医師不足や医療崩壊などといわれる今日の医療の抱える大きな問題の、解決の糸口になるお話でした。
ここ2~3年、マスコミの取材が多いのですが、特別なことをやってきたわけではないことを伝えています。
「当たり前のことを当たり前にたってきた」 ことと、 「地域の人に支えられてきた」 ことです。
今はインターネットなどで広くつながりを持てる時代ですが、名田庄に赴任当時はそのようなものはなく、地域が強いつながりで成り立っていることを感じました。
どこの誰であるかを屋号で呼び合ったり、家族3~4世代同居は当たり前で、家で死にたいという願いが強かったのです。
往診して初めて知ったことは、高齢者の患者が足を引きずり必至になって通院していたことや、長年寝たきりで3年以上も風呂に入っていないこと、病気がきっかけでじいさんとばあさんが、施設と子ども宅に別々に暮らさなければならなくなったことの、地域の現実でした。
そのことが、普通の医療・福祉・介護の困難な状況が生まれていたのかを考えるきっかけとなりました。
この地域の人々は、 「家で最期を迎えたい」 と願い、家族もそれを支えようと思っているのです。
この思いに応えようと、平成3年、保健・医療・福祉を連携するために、役場の住民福祉課・診療所・老人福祉センター・社会福祉協議会からなる 「健康と福祉を考える会」 を結成しました。
福祉バス(ふれあい号)を購入し、バスによる移動デイサービスを開始して、気がつけば年間900件もの訪問の実績をあげていました。
一方で、在宅ケア講座で育ったデイサービスボランティア 『やすらぎ会』 の活躍で、住民を巻き込んだ活動が展開されてきました。
平成11年には、保健・医療・福祉の総合施設である 「あっとほ~む いきいき館」 が完成し、私が診療所長と保健福祉課長を兼任して、医師2名・常勤スタッフ28名体制で、ハードとソフトともに地域を支える基盤が整い、保健・医療の統合ができました。
この体制のおかげで、平成12年度からの介護保険制度導入には、課長として業務を順調に進めることもできました。
これまで 「小さな診療所だからこそできること」 を探してきました。
診断・治療・看取りのすべてに関わってきたことや、致命的誤診と自分自身が病気を患ったことで、自分が 「地域を支えているつもり」 が、実は 「地域に育てられ、地域に支えられてきたのは自分自身だった」 ことに気付いたのです。
「医療崩壊」と言われていますが、その根底には患者側と医療者側の相互不信があるようです。
その大きな溝を埋めるには、 「お互い様」 の心を持った相互信頼がなくてはなりません。
できる限り短い入院で治療し、あとは自宅で最期を迎え、看取るのです。
私は、それに寄りそうのです。
“自宅で大往生” できる寄りそう医療がこれからの地域医療の形になるのだろうと思いました。
折りしも、三豊市粟島の診療所閉院の動きがありました。
昭和31年から55年間、民間医療機関として塩月先生が診療に当たってこられましたが、高齢のため閉院したいとのことでした。
三豊・観音寺医師会の調整で、医師を派遣していただけることとなり、今後、三豊市国民健康保険直営診療所として、医師1名と看護師2名体制で、次代の地域医療機関として再出発することとなります。
塩月先生長い間本当にお疲れ様でした。
中村先生の人柄が伝わる人間味溢れるお話は、当市の具体的な事例と重なり、地域医療に対する心構えを示唆してくれたものと思います。
三豊市民クラブ 視察研修・1-①
前回までの総務教育常任委員会視察研修報告に替わり、今回からは、10月24日(月)から26日(水)までの3日間の日程で行った、三豊市民クラブの会派視察研修報告をします。
10月24日は東京で開催された、全国自治体病院経営都市議会協議会 「第7回地域医療政策セミナー」 に、25日は宮城県登米市での東日本大震災に伴う対応を、26日は仙台市で開催された(財)日本自治創造学会 「大震災を越えてー地域の復興と自治の再生ー」 に参加する、視察研修を行いました。
地域医療セミナーでは、秋田県横手市立大森病院院長 小野剛先生と、福井県おおい町国民健康保険名田庄診療所所長 中村伸一先生の講演がありました。
今回の報告は、市立大森病院の小野院長のお話です。
「地域密着型の病院を目指して~市立大森病院の取り組み~」 と題して、地方の自治体病院の役割と新たな試みの報告がありました。
平成17年の1市7町村の合併により横手市の病院事業は、急性期の市立横手病院(246床)とケアミックスの市立大森病院(150床)の二つになりました。
いづれも地方公営企業法全部適用しています。
小野院長の市立大森病院は、健康医療福祉総合施設 『健康の丘 おおもり』 にあります。
この病院を ”地域包括医療・ケア” の中心施設として、「健康福祉センター」 「特別養護老人ホーム」「介護老人保健施設」 「デイサービスセンター」 「グループホーム」などの8施設で、健康の丘全体の定員は約600名となっています。
【“地域包括医療・ケア” とは、治療(キュア)のみならず保健サービス(健康づくり)、在宅ケア、リハビリテーション、福祉・介護サービスのすべてを包含するもので、施設ケアと在宅ケアの連携及び住民参加のもとに、地域ぐるみの生活・ノーマライゼーションを視野に入れた全人的医療・ケア】(資料転記)のことです。
この考えの実践は、 「夕暮れ診療」 や 「女性専用外来」 の開設、訪問診療、訪問看護、訪問リハビリテーション、予防医療への対応などで、国保診療施設の理念にもとづき、保険・医療・福祉・介護の連携による地域に密着した信頼される病院づくりを行っています。
これからの日本が抱える問題は、
・75歳以上の高齢者増
・独居老人増
・認知症の高齢者増
・2030年まで40万人死亡者増による看取り先の確保難
があります。
これらを見据えた小野先生の描く地域医療の未来像は、CureからCareへ移行した、ケアミックスによる “地域包括医療・ケア” です。
・「治す医療」から「支える医療」へ
・「入院中心の医療」から「在宅中心の医療」への転換
・「支える医療」の充実とともに、「治す医療」と「支える医療」の連携を深めることが重要
これの実現に向けて日々取り組んでいます。
明確な方向性を示すためには、確かな思いが必要です。
地域密着型の病院を目指すという鮮明な目標に向かって、新たな地域医療の展開を実践していることがよく理解できました。
地方や地域に限らずいえることがあります。
そこには、情熱を持って諦めずに取り組み続ける人がいるということです。
医療技術や制度をどの方向に進化させていこうとするのも、それをどのように扱うのかも、結局人なのです。