“映画「日本の青空」を観る会”主催の、「日本の青空」憲法記念日特別上映会が、憲法記念日の5月3日、観音寺市民会館で開かれました。
この映画は、『日本国憲法』が公布されてから60年が過ぎ、憲法が戦後の日本にはたした意味を確認し、理解を深める、更なる議論へと進めるために企画・制作されたものです。
「日本国憲法誕生の真相。60年を経ていま明らかに!」をキャッチタイトルとして、いまの憲法がアメリカ占領軍GHQによる、押しつけ憲法であるのかないのかの検証を、主要テーマとしています。
主人公である鈴木安蔵を中心とした、民間の「憲法研究会」が提出した草案が、GHQ案の「日本国憲法」に多大な影響を与えていたとするならば、現憲法は日本国民の精神と意志を映した、日本人の手によるものではないのか、という解釈です。
この観点は、日本人のアイデンティティとして、「護憲」、「改憲」論議に大きな意味合いを持っています。
ただ、現時点(いつの時点でもそうだが)での憲法論議は、戦後日本が抱える問題と、これからの日本が進むべき指針をどう方向付けるのかだと私は思っています。
<ウィキペディア>からの引用ですが、
「護憲」(改憲不要派)
・日本国憲法第9条を維持する観点
・男女同権を維持する観点
・基本的人権を維持する観点
・天皇制を維持する観点
・民主制を維持する観点
・共産化を阻止する観点
「改憲」(憲法改正必要派)
・自衛隊を軍として位置づける観点
・家庭の重要性を明記する観点
・環境権等の新しい人権を明記する観点
・天皇を明文規定で元首化し、権威権限を強化する観点
・天皇制解体を行い、共和制に移行する観点
・社会主義/共産主義を実現する観点
など、多様です。
憲法記念日に、この日に相応しい、良い映画を鑑賞する機会を得た事に感謝しています。
三豊市の憲法とも言える「自治基本条例」の研究を、より早く進めてゆかなくてはと思っています。
“我がまちの憲法を考えろ”と頭をハンマーで殴られたようです。
三豊市まちあるき・豊中コース
地域活性のための地域資源再発見のまちあるき事業が、全国各地で盛んに行われています。
三豊市商工会婦人部による「三豊市まちあるき」が企画され、市内旧7町で随時行われています。
豊中地域では『本山寺周辺散策とちょっと寄り道“岡本焼”コース』が計画され、婦人部の皆さんや商工会職員の皆さんも準備とリハーサルで大忙しのようです。
4月23日と5月14日の2日間計画され、すでに1回目が実施され、七宝山の麓の私の家の土管工場跡にも、本山寺周辺散策の後に参加者の皆さんが訪れ、岡本焼の歴史や伝統技法を興味深く見聞していました。
「さぬき岡本焼」は1,332年、後醍醐天皇の皇子、宗良(むねなが)親王が詫間の地に訪れ、作陶技術が伝えられたと言われています。
日本史では、翌年の1,333年が後醍醐天皇による建武の新政の年に当たり、鎌倉から室町への激動の時代背景の中にあり、想像がふくらんできます。
帰来原から採れる酸化鉄を多く含む粘土によって、明治から大正にかけて農家の副業として「ほうろく」と呼ばれる日用雑器が多く作られました。
大正から昭和にかけては、土管や植木鉢が量産された他、大久保じん之丞の銅像で知られる織田朱越氏によって多くの楽焼美術品が作陶されました。
戦後、生活様式の著しい変化によって廃業が相次ぎ、我が家の土管製造所が唯一残ることとなり現在に至っています。
昭和61年に、「ひねり出し技法」と「塩釉焼締技法・低温焼成技法」で、岡本焼が香川県伝統的工芸品の指定を受けるとともに、平成6年に私の父が伝統工芸士の認定を受けています。
このような事ででも、地域の活性化のお手伝いができればよいと思っています。
この地に住む人々自らが、この地の良さを暖かく見つめ直し、自分を知ることがすべての始まりだと思います。
このような活動に協力は決して惜しまないつもりです。
5月14日お待ちしています。