まちづくり調査特別委員会の視察研修2日目は、福井県越前市の「子育て支援」についてです。
越前市は、平成17年10月に武生市と今立町が合併し、人口約87.000人・面積230平方キロのまちとして誕生しました。
先端産業と伝統産業が一つとなって、県下一の工業製品出荷額を誇る産業都市として、更なる発展を続けてゆこうとしています。
福井県は、昔から繊維産業や金属化工業などが盛んで、女性の就業率が高く共働きや三世代同居家庭の多い県となっています。
この地域背景と、細やかな「子育て支援」策によって、出生率は全国の1.23に対し、1.60~1.70と大きく上回っています。
今回の視察研修は、越前市の「子育て支援」に止まらず、県の支援策も含む幅広いものとなりました。
<すみずみ子育てサポート事業>
就職活動・病気・事故など、やむを得ないことで家庭での子育てが困難なときの支援を目的とする。
実施機関は4ヶ所あり、対象の乳幼児童(0歳~小3)及び利用料(350~450円/時)・利用時間は、それぞれの保育ニーズによって施設を選択できるよう定められている。
*福井県3人子応援プロジェクトにより、第三子以降3歳未満児は無料(県費2分の1・市費2分の1)。
<病児デイケア>
子どもが病気や回復期に、保護者の仕事・病気・事故・出産・冠婚葬祭などで、看護できないときに一時預かりをする。
施設として3ヶ所あり、利用対象は小学校低学年、利用料は1日2.000円で、概ね8:30~18:00の利用時間となっている。
*3人子応援プロジェクト適用。
<ショートステイ>と<トワイライトステイ>
いずれも、社会福祉法人 越前自立支援協会が指定管理者となった、児童養護施設 進修学園 への委託となっている。
ショートステイは、保護者が病気や看護・出産・出張などで、家庭で見れない子どもを一定期間(7日間以内)預かる。
対象は2歳以上で、利用料は2.750円/24時間となっている。
トワイライトステイは、保護者の仕事が夜間になり子どもだけでは心配なときに預かる。
対象は2歳以上で、17:00~21:00の利用で1.000円となっている。
<子育て相談機関>
家庭児童相談室(児童福祉課内)・子育て総合支援センター(福祉健康センター内)・地域子育て支援センター(保育園2カ所)・児童家庭支援センター(進修学園内)など。
他に、平成18年に越前市要保護児童対策協議会を設置。
<母子自立支援事業>
離婚や死亡により、ひとり親となった家庭の子育て支援の助成を行う。
1)児童扶助手当 児童育成手当(市単独事業で父子対象)
2)ひとり親家庭の医療費助成
3)中学校卒業児童祝支給:@2千円相当の図書券
4)小中就学支援金支給 :@2万円(小学校) @2万5千円(中学校)
5)福祉推進資金貸付制度
<児童クラブ(学童保育)>
放課後、保護者が仕事で家に不在のため、毎日一人で留守番をすることが心配な、小学校低学年児童を預かる。
市内に23カ所の児童クラブがあり、すべてを社会福祉法人が委託運営している。
使用施設は保育園と児童館・児童センターの2種に分類され、利用料も8.000千円と7.000千円となっている。
18:00以降は時間ごとに、200~300円の加算預かりとなっている。
越前市における「子育て支援」の取り組みは、市民に認知され当てにされる事業であるとの実感でした。
福井県は、日本一の住み良い県であると言われています。
女性の社会進出に始まり、貯蓄残高、社長排出数などは全国第一位。
平均寿命男女とも最長に始まる全国第二位は、住まいの広さ、信仰ぶかい気風、低い失業率、三世代で同居などがあり、真に人にとって生きるに相応しい地域社会とはどんな形なのかを考えさせられます。
「子育て支援」を制度化するに当たっては、それをより有効に機能させるための地域社会のあり方をイメージした”まちづくり”の視点が欠かせないことに気づいた意味ある研修でした。
まちづくり調査特別委員会の視察研修(パート1)
1月10日~12日の三日間、”まちづくり調査特別委員会”の視察研修に行ってまいりました。
当委員会の主な調査研究テーマである、「コミュニティバス」と「子育て支援」について、滋賀県甲賀市と福井県越前市の二つのまちを訪問しました。
甲賀市では、「コミュニティバスの運行について」の研修を行いました。
当市は、滋賀県の東南部に位置し、5町(水口・甲南・甲賀・信楽・土山)合併によって、平成16年10月、人口95.000人 面積480キロ平方 県土の12パーセントを占める、甲賀市として誕生しました。
地理的に、近畿圏と中部圏をつなぐ交通の拠点であり、通勤・通学等の利便性から若年層人口の増加もあり、平成26年には人口10万人都市を目指しています。
コミュニティバス事業の必要性は、JR草津線と近江鉄道・信楽高原鉄道があるが、いずれも単線で市民生活に密着した利便性の高い交通手段が、合併以前から求められていました。
<甲賀市コミュニティバス整備方針>
コミュニティバスを、地域住民の日常生活に不可欠な生活交通手段とし、市内を運行する3つの鉄道を補う通勤・通学及び観光振興を含めた、市内外の地域振興の役割を担うものと位置づけています。
主な利用目的は、市民の日常生活の移動に重点を置いた交通機関とし、特に3点のサービスを中心に展開しています。
1) 市内の小中高生の通学
2) 市内の高齢者の通院
3) 市外への通勤・通学のための鉄道駅へのアクセス
これらに加え、市外からの通学・通勤や観光地へのアクセス。他市との連携にも配慮することとしています。
この事業の維持継続は、市民や商店街・企業の協力が欠かせません。コミュニティバスが利用者の皆さんによって支えられる協働の事業であることの認識が重要だといえます。
<甲賀市コミュニティバス概要>
合併時に旧5町それぞれが運営していた事業を、合併調停項目の中で再編統一しています。
路線数と運行系統数 :30路線 140系統 34車両
運賃 :大人250円 小学生以下130円
利用状況 :(平成17年度) 年間約67万人
*毎年、増加傾向だが利用促進対策も行っている。
利用促進と住民要望対応:1日乗り放題の1Dayチケット
市内イベント等との連携
子どもの通学の安全確保と「バス乗車マナー教室」
低床バスの予約配車(10台程保有)
バス停の新設・移設等
収支状況 :(平成17年度)
A 運行経費 376.000千円
B 運賃収入 90.000千円
C 運行損益 ▲286.000千円
D 運送契約額 368.000千円
D-B運行補助 278.000千円
*バス事業者への補助金確定額 278.000千円の内訳
県補助 71.000千円
国補助 9.000千円
実質市支出19.800千円
平成16年度と17年度の比較において、運賃収入よりも運行経費の増加が上回っており、18年度はダイヤ改正を行って改善に努めています。
先進地である甲賀市においても、事業継続の予算規模に対する最大費用の基準や目安は、現状吟味されていないとのことで、「まちづくり」に対する公共サービスの見極めの難しさを感じたのでした。
また、コミュニティバスの成り立ちや役割は、人口構成や環境によって様々ですが、三豊市としての確固とした「まちづくり」の目標を持った、地域振興と福祉政策を包括した事業にしなければならないと、再認識させていただいた有意義な視察研修でした。
もう一ヶ所の越前市は、後日報告いたします。
知財立市三豊市をめざして
1月13日(土) 三豊市詫間町のマリンウエーブで、今年初めての三豊市少年少女発明クラブがありました。
いつもは、山地会長を中心とした地域の指導者の皆さんが講師となった講座が行われていますが、今回は、日本発明協会から「地域におけるIPカルチャー普及」のための講演が行われました。
講演を頂いたのは、長く通産省工業技術院に勤め退官後、からくり人形工房を設立され、子どもたちの知的好奇心を育む活動をされている、半屋晴光(からくり人形師)さんでした。
「からくり人形のなぞ」と題し、現物を前に子どもたちだけでなく、むしろ大人の私たちが心躍るお話でした。
1)人形の起源と進歩は、偶人(ぐうじん・ひとかた)という人間の分身であり、おまじないの道具として発生し、神聖な場所と時に限られた人によって操られる人形へと変化していった。マリオネット(糸操り)や指人形・人形浄瑠璃・文楽などであった。その後、操り無しで自動的に動く人形として、からくり人形へと進化した。人間により近づき、現代のロボットへと繋がってきた。
2)日本でのからくり人形の起源と発展は、ザビエルの持ち込んだ機械時計の動力のゼンマイに始まり、17世紀に時計師の竹田清房が「茶運び人形」を発明した。当時の日本には、刀を作る技術はあってもゼンマイに使える鋼(はがね)はなかった。ひげ鯨の歯を加工してそれに替えた。
階段を1段づつ自動的に降りる「段返り人形」は、ヨーロッパの砂時計の原理で水銀を使い、滑らかな動きを実現した。後に、ヨーロッパに伝わり水銀の替わりに小さな鉄球を使い再現しようとしたが、同様の動きは得られなかった。
近世である江戸時代からもすでに、日本とヨーロッパの間でお互いの技術と文化を組み合わせ、新しい価値を生む交流があり発展していった。
3)何故特許制度(知的財産)が必要なのかは、これほど優れた当時のからくり人形が一体も残っていないのも、アイデアや技術を独占する特許制度がなかったために、それを明かさなかったからだ。当時、技術や極意は一子相伝であったが、特にからくり人形は大名家などのおもちゃとしての需要であったために、明治の近代になると廃れていった。現代の私がからくり人形を復元できたのも、細川半蔵の「機功図彙」(きこうずい)があったからだ。これは技術の公開の重要性を物語っている。特許制度によって技術が公開され、技術が進歩し、豊かな社会になる。
皆さんの創造性は、現代と未来の課題に対処するために必要とされている。
地球環境や高齢化といった社会の課題に貢献することも大切なのではないか。
新しい技術は、人の考え(価値観)を変えてしまうほどに、大きな意味を持っていることを知って欲しい。
半屋春光さんの言葉の一つ一つが実績に裏打ちされた魂のこもったもったものでした。
今回の講演を聴き、三豊市の発展の戦略の切り口はここにあることの確信を得たのでした。
8月30日のこの場で「三豊市少年少女発明クラブの可能性」を書き込みましたが、私だけではなく、三豊市の未来を考える者誰もが一様に思うことであることも確信したのでした。
ロボットコンテスト日本一の詫間電波高専と三豊市の地場産業の連携による、地域再生の仕掛けが現実味を帯びてきたと実感したのでした。
地域産業界の依頼によって詫間電波高専が研究開発し、三豊市少年少女発明クラブで育った子どもたちが詫間電波高専で学び、その後に地域産業界に貢献をする。こんな関係ができることが知財立市三豊市の実現に繋がってゆくのだと思っています。
横山市長もちょっと色気を出しているようです。思う壺です。
平成19年が始まります
新年明けましておめでとうございます。平成19年の書初めです。
本年は昨年に増し、しっかりとした、より充実のしたお知らせを心がけます。
よろしくお付き合いの程をお願い申し上げます。
1月5日(金)、三豊市議会の初寄りとなった全員協議会が開かれました。
協議のテーマは、昨年から引き続いての「クリーンセンター」の件で、12月12日の全協で協議された結果を、観音寺市白川市長へ伝えたことに対する報告と、今後の対応についてでした。
12月28日に、観音寺市役所へ、三豊市横山市長と香川議長・近藤副議長、そして真鍋三観広域組合議会議長の4名で訪問し、観音寺市の”奥谷”案に対する、三豊市議会の否定的な空気と主な意見を伝えた。
観音寺市からは、「これまでこちらにお任せ(丸投げ)であったのに、案が気に入らないからと言って、今更反故にするとはどういうことか!」「候補地との交渉の兼ね合いもあるため、否定の結論を出すのはもう暫く待って欲しい」などの返答があった。
これに対し、三豊市からの「暫くとはどの程度の期間なのか。」の問いに対しては、「1月か2月か3月かなのははっきりしないが、暫く見守っていて欲しい。」とのことであった。
といったものでした。
この報告に対し、
「前回の全協の後に、現地視察を行ったが、ゴミ運搬の道路事情と季節(豪雨による土砂崩れや積雪による通行止めなど)の使用不安が考えられる。」
「計画が動き出したころと今とでは、ゴミの考え方と処理技術が大きく変わっているのに、何故未だに以前の計画のままなのか。」
「検討が始められてから7年間、まともな情報は無く、住民にも議会にも説明されてこなかったことの不信感と、誰がどこでどのように話が進められているのかが判然としないのはおかしい。」
「両市民と両議会に、同様の情報を提供し、共に考えるべきではないか。」
「三豊市の意見と意思をきっぱりと伝えるべきだ」
「広域行政も市町合併(1市9町から2市へ)で、担うべき役割と機能が変わることを求められているのではないか。三豊市・観音寺市広域組合議会で、三観地域全体のゴミ問題として、2市の本音の意見を出し合い、方向を定め直すべきだ。」
等の意見が出されました。
この事案の根本的な問題は、二つのまちの物事を決定するための手法と過程が異なることにあると私は思っています。観音寺市議会には、三豊市議会と同様の情報が渡っていないようで、こんなアンバランスがあったのでは議論にもなりません。
三豊市・観音寺市広域組合の事業であることの認識を再確認し、市町合併前の三観広域組合議会ではない新生議会として、冷静な議論が早急に行われなくてはならないと思っています。
年の暮れの挨拶
伝えきれないことのあまりに多いことを、今更ながら感じる年の暮れです。
2月12日の三豊市議会議員選挙では、皆さんのご支援とご理解をいただき、晴れて議会へ送り出していただきましたこと、改めて心より御礼申し上げます。
めまぐるしく、夥しい出来事が発生し捌かれていった一年間でした。
それぞれの案件は、どれをとっても市民生活に直結するものであり、その判断と決定には責任の重さを感じますし、既成の概念に囚われない公平公正な心根と ”初心” の大切さを痛感しています。
今年、合併によって三豊市少年少女発明クラブが再編結成されています。関係者や指導者の皆さんのご尽力で、会員の子どもだけでなく保護者も虜にした講座が続けられています。
そんな中から、(社)発明協会香川県支部主催による「62回香川の発明くふう展」において、比地大小学校3年生の塩冶(エンナ)篤史君の作品が「香川県産業教育振興会会長賞」を受賞しました。
誰もが気づかずに見過ごしてしまう、身近に当たり前にある物を利用して作った風速計でした。
プリンカップで風を受け、針金に巻きついた糸の長さで風の強さを測定します。1分間で巻く糸の長さから風の強さがわかるよう工夫されています。
市民の皆さんの力で、確実に人は育っていることを実感した、元気付けられるすばらしい出来事であり、素直で透明な心で考えを組み立ててゆくことの大切さを教えられた思いです。
私は、彼等と共に学び共に成長してゆきたいと思っています。
かけがえのないクリアーでピュアーな感性で ”初心” を忘れることなく活動に励むことをお誓いし感謝と御礼の挨拶といたします。
皆さん良いお年をお迎えください。
来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
ありがとうございました。
12月議会終わる
12月22日(金)、平成18年第4回 三豊市議会定例会が、18日間の会期を終了しました。
補正予算案として、一般会計2億6千438万円と、介護保険特別会計3億1千361万円が上程され、原案通り可決されました。
これによって、補整後の一般会計は286億4千942万円となり、また、介護保険特別会計は、55億7千20万円となりました。
特に介護保険特別会計の増額は、本年制度改正されたことによって、居宅サービスの種類が増加したことが主な要因となっています。
会期中に追加提案された「下高瀬小学校の工事請負契約」は、入札業者選定をホームページを含めた公募によって募集し、応募の中から、経営評価審査点や年間取扱高などの制限をもうけ選定されました。
入札は、11の企業及び共同企業体の参加による、制限付き一般競争入札で行われ、「菅・富士・神詫建設共同企業体」が落札業者となりました。
契約金額7億3千80万円(税込み)は、設計価格に対する落札率72.89パーセントであり、三豊市の地元建設業者の意地と存在感を感じさせる結果となりました。
同じく追加提案された「三豊市役所の位置を定める条例の一部を改正する条例」は、賛成が3分の2を要する特別採決で、議長を含む全議員30人中賛成24・反対6で可決されました。
条例の内容は、「三豊市豊中町本山甲22番地」を「同本山甲201番地1」に改めるものです。
この背景には、本山甲22番地である寿電子跡地の商業用地転用の問題があり、また、本庁舎と支所のあり方を含めた三豊市のまちづくりの大きな課題を孕んでいます。
質疑で、近藤久志議員から思慮深い発言があり、条例改正後においても三豊市のまちづくりの上で、忘れてはならない重要点であると気づかされました。
”条例の改正前は、庁舎建設の目的のために三豊市土地開発公社が特定用地として代行保有していることとなっている。しかし、改正後は、その縛りが無いために、土地販売契約や業者決定など、土地開発公社の裁量となり、議会承認は法的に必要性が無くなる。議会への、まちづくりプランの提案や承認・報告を見ないまま、誘致が進められることから、民意を反映しない方向になる可能性がある。業者選定、まちづくりプランの提示と跡地活用プランを議会に説明、報告、契約、承認がなければならない。本案は、市民と議会と市が一体となったまちづくりをすることにおいて、非常に重要な意味を持っている。改正後、議会と今後どのように土地利用協議を行う方針か。”
といったものでした。真に良識の高いご意見であると思うと共に、多面的な議論の必要性を痛感したのでした。
私は、議論を尽くせば尽くすほどにいろんな側面が見えてくると思っています。
適切なときに適切な決断を下すことに、なんら吝かではありません。しかし、先に結論有りの大勢が強ければ強いほどに見失う問題点と抜け落ちる議論はあると思っています。(戦前の日本のように)
この信念に従い、同じ思いのある同僚議員と共に ”閉会中の継続審査を求める動議” を発しました。
23対6で動議は否決され、その後当条例案の採決となり、三豊市の本庁舎の位置は現豊中庁舎と決しました。
議会の限られた時間の中での、可能な限りの議論によって、「大型商業施設に限定せず幅広い業種を対象とすることや、執行部と議会による選考委員会を設け協議し選定したい」の変更を引き出せたのは、議会としてのぎりぎりの役割の結末でした。
まさにこれからが、寿電子跡地を核にした三豊市のまちづくりの幕開けになるのだと感じています。
クリーンセンターについて
三豊市議会12月定例会が、12月5日から22日の18日間の会期で開会中です。
三豊市の本庁舎の位置と定められている、「香川松下寿電子工業跡地」の商業用地転用の問題で、時間を費やし、お知らせが遅くなりました。
本庁舎の問題とあわせ、今三豊市・観音寺市広域組合の新クリーンセンター建設が、大きな問題として突きつけられています。
この件について、12月12日の、三豊市議会議員全員による全員協議会で、今まで報告されずに進められて来た、幾つかの資料が提示されました。
三豊市山本町にある、現クリーンセンターについては、この場の6月3日の「施設視察」で紹介しています通り、手をかけずに使用できる期間も過ぎ、又、山本町の地元住民との約束の期限も残り6年程となり、新クリーンセンターの建設地の決定と、事業開始の了解が早期に求められています。
平成11年より始まった候補地の選定は、旧高瀬町の原下工業団地や、旧三野町の汐木山の断念後、観音寺市にお任せ(丸投げ)状態でした。
いずれは結論を出さねばならないのに、ほったらかしだったこの問題が、今、この時期に何故、緊急案件として浮上してきたのかということです。
観音寺市による、この間の検討交渉の結果、観音寺市粟井町・奥谷地区を、最終候補地とし地元との条件交渉を年明けから開始するに当たり、今年内までに三豊市の了解を得たいとの打診があったことによります。
ところが、「新クリーンセンター建設について」の詳細な説明は、これまで(旧1市9町時代も含め)ほとんど無く、観音寺・三豊の両市民はもとより、両市議会にも、広域組合議会にすら知らされていなかったのが実情でした。
新クリーンセンターの概算事業費(156t/日の能力の焼却施設の場合)
「建設費」
(焼却施設) 110億円
(敷地造成と進入路) 11億3千6百万円
(委託料:設計・管理) 1億6千万円
合計 122億9千6百万円
「運転経費」
(施設運営管理費と起債償還)
15年間の年間経費は10~15億円で、その合計は200億円を超え、更に、起債償還終了後の16年目以降も9億円あまりの施設運営管理費が毎年予測されています。
「保証費」
(アクセス道路・奥谷地区・逆瀬池土地改良区・粟井地区) 予測される額は、16億7千万円で、工事費を含む総事業費は26億円程と見込まれています。
この広域事業に対する、三豊市の負担金額は、人口比から「施設費」60億円、「運転経費」15年目までは年間5~8億円で、16年目以降は毎年5億円程が考えられます。
三豊市には溶融炉建設と発想の根底を異にする、焼却ゴミを可能な限り減量化する「ゴミ0作戦」が計画されています。
三豊市の方針として、観音寺市に対し、今回の建設案への同意は、三豊市議会としては難しいとの意向を伝えると共に、三豊・観音寺地域全体としての、ゴミの減量化に対する取り組みを再考してはどうかとの提案をすることとなりました。
パートナーシップ構築について
三豊市が発足して一年になろうとしています。
18年度は7町からの持ち寄った継続事業を引き継ぐ形での予算となっています。
現実の三豊市財政は、合併前の協議会で議論・想定していた以上に悲惨な状況となっていました。
今までのような、当然と思っていた多くの公共サービスを、行政に求めることの限界を誰もが受け入れなくてはならない状況にもなっています。
12月5日(火)三豊市豊中町保健センターセミナールームにおいて、「特定非営利活動法人 香川ボランティア・NPOネットワーク」の声掛けによる、市民参加の”協働によるまちづくり”を考える情報交換会が開かれました。
”公共事業は、お役所がするものだという時代は終わりつつあります”の問題提起で、”三豊市におけるパートナーシップ構築について”のテーマで進められました。
行政・民間企業・NPO法人・金融機関の皆さんの参加で、それぞれの抱える問題や相互理解を深めるための質問や意見が出されました。
これまでの、公共事業イコール行政の仕事の考えを変え、自らに必要なサービスを市民や民間事業者・NPO・地域(コミュニティ)を中心にして、自らの手でつくり支えていく時代になっているということです。
参加者の皆さんの遣り取りの中で、パートナーシップとはいろんな主体と、その連携があることに気づかされました。
そして、かつて取り組みたいと考えていてすっかり忘れてしまっていた(恥ずかしいことです)、コミュニティファンドを思い出させてくれました。
これまでの日本社会は、経済力による税収と国民からの借金によって、できる限りの公共事業(サービス)を施してきました。
たとえば、日常生活の中にある火災や事故・病などは、いつ誰の身に降りかかるかは知れませんし、必ず誰かがどこかで被る緊急事態です。そのときのために、行政が税金で常に仕組みと機能を維持管理しているのです。
ところが、経済失速による税収の低迷とあわせ、未曾有の自然災害(大地震など)が予想される中で、それに対応する完全な備えまでも、行政がすべて担えるのかといえば、そうはゆきません。
そのための常備経費は膨大な税金がつぎ込まれなくてはなりませんし、有事に本当に役に立つのかに大きな疑問が想像できます。
それを補うためには、税金で支えられる制度以外の、公共サービスに向けられる資金と機能・組織の考え方が必要となります。
有事に本当に機能する、地域に根ざしたボランティアネットワークを育て支えるための資金の運用です。
これが、私が考えるところの「コミュニティファンド」の発想の原点でした。
三豊市を支えるボランティア・NPOのネットワークによる、パートナーシップの構築は、”協働のまちづくり”をめざして、今始まったところです。
寿工芸跡地の商業用地転用について
今、三豊市の本庁舎の位置であり、新庁舎建設予定地と定められている、寿工芸跡地の商業用地転用の話が持ち上がっています。
12月6日(火)夜、三豊市豊中町JA本山支店において、豊中町内の自治会長に対する説明会が行われました。
横山市長より、「世論」と「中期財政計画」と「まちづくり」の観点から、10年間の内(合併特例債適用期間)には、本庁舎の建設は実現性がないことが決定的となった旨の説明がありました。
時間と多くの税金を費やした、7町による合併協議会で決定した、合併協定項目の重要事項を白紙撤回するということです。
寿工芸跡地は68.000平方メートル(20.000坪)で、現在までの投資額は約14億円であり、坪当たり70.000円となっています。
様々な調査検討の結果、
工業用地ならば、坪50.000円迄でないと償却できない。
宅地の場合は、小さな区画割と道路や共有スペース確保が求められるため、市場価格に合わない。
結局商業施設への利活用が最も適合するとのことで、今回の提案となったのだということでした。
この商業用地転用案が何故急ぐのかは、大店法3法の改正による時限が迫っていることによります。
大型ショッピングモールが誘致できれば、雇用の場ができ、税収が増え、人や物の動きが活発になり流出している消費を三豊市内にくい止めることが、できるのだということです。
そのことによって、まちの活性化につながり、三豊市民の信頼感、絆、連帯感が強まり、市の一体感ができ、市民が一つになって「まちづくり」に取り組んで行く形ができるのだということでした。
この件は、三豊市議会12月定例会の一般質問(12/11)で質問します。
人権・同和教育研究大会
「人の世に 熱と光を」を合言葉に、第58回全国人権・同和教育研究大会が、お隣の県愛媛県松山市で12月2日と3日盛大に開催され、教育民生常任委員長である私も参加させていただきました。
開会にあたり加戸愛媛県知事と中村松山市長の歓迎の挨拶があり、県と市を挙げた取り組みであることが充分に伝わると共に、お二方のお話の上手なことに思わず時を忘れたのでした。我に返ったとき、知らず知らずの内に、私たちの県のその立場にある方々のそれと比べている自分がありました。
こんな言葉と、こんなメッセージの波に追われる県民・市民は、ビッグウエーブに乗った伝説のサーファーのように幸せなのだろうなと思ってしまったのでした。
開会全大会が終わり、九つの分科会とその中で分けられた31の分散会に別れ、教育研究会が始まりました。
私は、社会教育部会の「人権確立をめざす文化創造」を分科会テーマとする第9分科会の中の、第1分散会に参加しました。
この分科会は、文化をキーワードとして、「部落問題をはじめとするあらゆる人権問題の解決をめざす文化創造・活動をどのようにすすめているか」を、研究することを求めていました。
二日間を通じ、三つの活動の報告がされました。
一日目は一件で、愛媛県西条市の プロジェクト2008 の池田さんの「人権劇」に取り組め仲間たちの活動の報告でした。
二日目は二件あり、一件目は、島根県江津市の教育委員会人権教育課の二又さんの、竹細工名人たちとの交流で学んだ「誇りうる伝統工芸とともに! ~師匠と言われる人たち~」の報告でした。
二件目は、大阪府豊中市豊中人権まちづくりセンター保育所の八木さんの、人形劇を創ってゆく中で気づいた「差別はおかしいと感じ 仲間と共に立ち向かう力を持てる子に!おとなに!」の報告でした。
いずれの報告も飾りや偽りのない、思いのたこもった心に染み入るものでした。
報告者の誰もが共通に語っていたのは、 「誰かを変えようという肩に力の入った取り組みから、ある時に、自分の中にある差別の心に気づく。実は自分を変えるためにあったのだ」 ということでした。
被差別の現実に学び、厳しい出会いを経験し、明るい明日のあることを伝えてゆきたい、ということであり、更にこの取り組みに、若者が参加してゆく中で、楽しいだけではなく思いを共有したいと思うようになったとの体験談は、「文化」の持つ力を感じたのでした。
今回初めての経験の研究大会は、新たな気づきの大切さを思い起こさせてくれました。
「差別は、ほうっておくと無くなりません。しかし、無くそうと努力すればなくなると信じています。」との発言は、私にとって日々の一つ一つの言動に、連動スパークする不思議な衝撃と共感でした。
部落差別の「現実」と、「真実」を伝えることによって、思いが本当に伝わることを体験し、着実に取り組み続けることの重要さを感じたのでした。