家族とちょい出

4連休初日の5月3日に、久しぶりに家族四人で徳島方面へ、ちょっとふらりと出てきました。
高校2年生の娘と、中学3年生の息子の歴史の勉強にもなるか(たまには父親らしいこともしてよ!と言われています)と、勝手に思い目的地に決めました。
はじめに、美馬市脇町の“うだつの町並み“へ。
次に、鳴門市にある 映画「バルトの楽園(がくえん)」 の板東俘虜収容所ロケ村~歓喜の郷~を訪問。
その後、近くの藍住町にある「歴史館 藍の館」を訪れました。
“うだつの町並み”は、30年近く前に一度訪れたことがありました。
今の町並みは当時と同じ場所とは思えないほどに、生まれ変わっていました。
昭和63年に重要伝統的建造物群保存地区の選定を受け、整備されてきたのでした。
この脇町は、江戸から明治の時代にかけ、藍の集散地として栄えたところです。
この商いで成功し富を築いた商人たちは、競って“うだつ”を上げた立派な家を造りました。
“うだつ”は防火壁とも言われ、財産を類焼から守るための防火の役目をしており、自らを自らが守る力の象徴ともいえます。
このことから、一向に出世せず一人前にならないことを“うだつが上がらない”という諺が生まれたと言われています。
地元主婦の皆さんによる食改善グループのお店で、手作り豆腐とコンニャクの田楽を食べました。
古民家のわびの雰囲気と空腹も手伝ってか、子どもたちも食べ歩き番組のリポーターのごとく、「うめ~」のリアクションでした。
保存地区の東の端に、哀愁を感じる建物がありました。
平成8年に西田敏行主演で映画化された「虹をつかむ男」の舞台となった、脇町劇場(オデオン座)です。
「レンタルで観よう」と言いながら脇町を後にしました。
“バルトの楽園~歓喜の郷~”は、映画ロケ地としての魅力が十分に伝わる観光資源としての仕掛けを作っていました。
それは単にロケ地と言うだけではなく、史実に基づいた地域の底力とそれに支えられた観光ボランティアの活躍があるのは間違いのないことです。
第一次世界大戦のドイツ人捕虜約1,000人と、松江所長や板東の人々との心温まる交流など、学校の歴史教育では教えられない事実があったことを、ガイドの皆さんが地域の誇りとして語っていたからです。
第二次世界大戦は日独伊の三国同盟だったのは記憶にあったのですが、一次大戦が日英同盟であったことはすっかり忘れていました。
過去を振り返ることによって、記憶から消された事実に再び気づく作業は、時代が変わるほどに重要なことだと改めて思ったのでした。
「歴史館 藍の館」では、阿波藍の歴史と藍染めに触れることができました。
阿波の国が藍の産地になったのは徳島藩蜂須賀家の奨励があったことによりますが、そもそも吉野川があればこそのことでした。
藍は連作のきかない作物ですが、収穫時期後におこる吉野川の毎年の反乱によって、栄養分の高い土が堆積し連作が可能となっていたのです。
「藍住町歴史館 藍の郷」となっている、旧奥村家などの隆盛が長く続いたものの、明治後期にドイツからの大量の安価な人造藍が輸入され、たちまち衰退していったのです。
現在は、自然・住環境や健康問題と歩調を合わすように、天然藍が見直されています。
不思議なことに、板東俘虜収容所も藍もドイツ因縁の地だったのですね。
さらに、この歴史と文化は地域住民の力と融合し、独自の魅力を醸しているのです。
ふと、三豊市の「フルーツ王国みとよ」を思っていました。
私が常に思っている考えは、地域ブランドの育成には生産地としての情報発信ほか、地域の力(地力)の基盤強化を促す方策が必要だと言うことです。
農業参入に広く門戸を開き、農業の組織経営で起業する若手経営者の育成支援が求められる施策だと再認識したのでした。
わが子たちも勉強になったかな?
「虹をつかむ男」と合わせ、「バルトの楽園」のDVDも借りて観ようと話しています。

建設経済常任委員会

19年度に入り、私の所属の常任委員会は、建設経済常任委員会となりました。
4月24日(火)、新たな委員会メンバーで、近藤久志議員が委員長となり、1回目の委員会が開かれました。
(1) 報告事項として
まず、三豊市水道局から水道事業計画の説明が新任の森局長からされました。
「三豊市水道事業計画」とは、平成19年~33年までの15年間の三豊市の水道施設整備計画を表します。
水需要予測として、人口を69,800人とし、一日最大給水量を日糧41,500立方メートルと予測しています。
施設整備計画として、 1.浄水施設 2.配水施設 3.遠方監視設備を年度を追って更新増設し、充実してゆく計画となっています。
この計画案は、厚生労働省へ申請するために、19年度の1年間をかけ検討と修正が加えられることとなっています。
次に、建設経済部農林水産課の岩本課長から、“農地・水・環境保全向上対策事業”と“中山間地域等直接支払事業”の、申込状況についての報告がありました。
“農地・水・環境保全向上対策事業”は、三豊市全域で33地区からの応募があり、783ヘクタールが対象となります。
“中山間地域等直接支払い事業”は、高瀬・財田・仁尾と、今年度より実施の山本の4地区の実施となります。140集落421ヘクタールが対象となっています。
(2)「フルーツ王国みとよ」の協議がされました。
今年度4月に新設された、“フルーツ王国みとよ推進室”の佐藤室長から、調査研究方針の概要が説明されました。
フルーツという言葉の解釈は、果物に限定するのではなく農産物全般を指します。
みとよブランド確立のために、国の交付金制度である「がんばる地方事業推進」の30,000千円を利用するために、手続きとして5月11日までに県へ申請の予定です。
手始めに、4~6月の3ヶ月で三豊市の有力作物を選定するための基礎データを収集し、拡販対象作物を絞り込んでゆきます。
同時に、消費者ニーズの調査をしつつ、1.生産対策 2.流通対策 3.消費対策 の調査研究をおこないます。特にPR方法の模索を第一に取り組んでゆきます。
(3)19年度事業施工予定箇所の現地視察を行いました。
詳細は後日お伝えします。
委員会の最後に、これからの当委員会の取り組む課題として、まちづくり調査特別委員会との役割分担の確認がされました。
まちづくりプラン(計画)全体については、まちづくり調査特別委員会が扱い、ここで出された方向性について、当委員会で具体的事業へ組み立ててゆくための審議をすることとなりました。
これから1年間、建設経済常任委員会の動きをお伝えしたいと思います。
自らの勉強のためにも。

穏やかな春の一日

4月22日の日曜日、朝から透き通った空気を感じ、思わず大きく深呼吸をしていました。
テレビでは「昼前から雨模様」との予報ですが、信じられないほどの爽やかな朝でした。
午前10:00から、高瀬町の朝日山森林公園で開かれた「第11回三豊森林浴ヨーガ」に参加しました。
高瀬町の“ヨーガ塾いやしろち”を主宰する、比地二ヨーガの会の代表である小山博明さんからのご案内でした。
小山さんは、自宅に道場を開き、生活のほとんどをヨーガの普及に費やしており、体の健康やそのために適切な生活環境とはどのようなものなのか、についての研究を深められていらっしゃいます。
アトラクションとして「せせらぎ会高瀬教室」の皆さんによる琴の演奏が披露され、新緑を揺らしふく風の心地よさと合わせ、琴の奏でる音色に日頃の喧噪をひととき忘れさせていただきました。
本題に移り、高松税務署長を最後に退職後、税理士をなさっている宇野宏先生から、「春風献上」の演題でお話がありました。
宇和島税務署勤務時代に、地方紙の「夕刊うわじまのコラム“皮てんぷら”」に執筆した時の記事を中心に進められました。
先生の口調は、その時々を振り返りかみしめるように話されました。
幾度かの転勤によるご家族の様子や、その当時の出来事などに対する考えをを絡め、人柄が伝わってくるお話でした。
気がつくと外は静かな雨で、予報通りの天気の移ろいで、なぜか安堵を覚えたのでした。
失礼だとは思ったのですが、次の予定もあり充分な挨拶もせず退席させていただきました。
12:00からの桑山放課後児童クラブ(桑山学童クラブ)の総会へと、ワイパーを動かしながら車を走らせました。
このクラブは旧豊中町時代と同様、運営形態は公設民営で、三豊市になった今も三豊市が設置し「桑山放課後児童クラブ運営委員会」が運営を委託されています。
保護者の皆さんや指導者の先生、地域の皆さんの協力で5年目を迎えました。
すべてが手探りで、10名程度で始められたこのクラブも19年度は30名を越え、共働きの保護者の皆さんから信頼され当てにされているのだとの感じを強くしていましす。
こんなにすばらしいクラブになったのは、子どもたちを健やかに育てたいと願う保護者の皆さん、指導者の先生の心と心のつながりがあったからに他なりません。
特に、森由美(よしみ)さんは設立以前から、保護者の一人として中心となり、運営計画や保護者との連絡、指導者の先生との調整など、超人的働きをしてきました。
本当にご苦労様です。
これからもこのクラブが森さんを中心に、子どもも保護者も地域の皆さんも、誰もが楽しく心のよりどころとなり続けるよう願っています。
午後から、障害者グループの「合歓の会」へ参加。
夜は豊中地区建設組合総会に出席し、大宴会で一日を締めくくったのでした。
雨は夜まで降り続き、一雨ごとに確実に季節は進んでいることを感じた、“穏やかな春の一日”?でした。

「三豊市少年少女発明クラブ」活動報告会

4月21日(土)、三豊市少年少女発明クラブの活動報告会が、高瀬町にあるクラブ室で行われました。
発明クラブが、昨年4月15日に開講されてからの1年間に、子どもたちが学び活動した成果の発表の機会となっています。(2006年4月15日書き込み)
山地会長の、子どもたちの想像力に対する期待の大きさと、このクラブに対する情熱は、一年を経た今も衰えるどころか益々強くなっているようです。
しかも、クラブ員の子どもたちが、会長の思いにしっかりと応えていて、すばらしい作品の数々でした。(2006年12月31日書き込み)
一般の参加者には、三豊ライオンズクラブから次年度会長の曽根猛さん他数名と、市から清水副市長と企画課の綾さんがいらっしゃいました。
山地会長とクラブ指導者のみなさんの熱意が、地元産業界と行政をその気にさせたのだと、改めて頭の下がる思いです。
19年度のクラブ員の募集も始まります。
三豊市全域の小中学生が参加できるような広がりを期待したいと思います。
閉会の前に、企画課の綾さんから、みとよ青年会議所が毎年行っている夏のフェスティバルの案内があり、今年は8月25日にマリンウエーブで「ロボットコンテスト」が企画されているとのことでした。
地域あげての「知財立市三豊市」への確かな手応えを感じたのでした。

三観広域行政組合のこれから

“三観広域行政組合”の事業であるクリーンセンター問題を考える中で、広域行政の本来の役割とあり方を問い直さなければならないと感じています。
1市9町で構成されていた“三豊地区広域市町村圏振興事務組合”が、市町合併で三豊市と観音寺市の2市になり、現行政組合に移行しました。
この間、市町合併のうねりに飲み込まれ、一部の事務処理の見直しはあるものの、新しい時代に求められる広域行政の理念や性格についての充分な協議が、置き去りにされていたように思われてなりません。
このような状況の中で、新クリーンセンター問題が2市の間で議論されているのですから、話がかみ合わないのはしょうが無いことなのでしょうか。
しかしながら、広域行政の主旨と理念、そして目的には変わりがあろうはずはありません。
変わるとすれば、構成団体が変わることによる事業と組織の見直すことであろうと思います。
そのためには“三観広域行政組合”の現状の理解が必要です。
そんなことを考えている時、ちょうど平成19年3月発行の最新版「三豊広域ガイドブック」が手に入りました。
「三観広域行政組合議会」   :構成市議会選出16名(観音寺市8名・三豊市8名)
                  負担割合は人口比(観音寺市48%・三豊市52%)
「共同処理事務及び主な事業」
*養護老人ホーム“七宝荘”は、昭和49年三豊広域組合立の七宝荘と観音寺市立母神園を統合し設立。定員130名(2人部屋50室・1人部屋30室)。短期入所(1人部屋4室)。
*特別養護老人ホーム“とがみ園”は、平成6年に新築移転した。定員50名。他に短期入所20床・老人デイサービスセンター・老人介護支援センター・居宅介護支援事業を行っている。
*クリーンセンターは、昭和61年に焼却施設・灰固化施設・埋立処分地施設を、昭和62年に粗大ゴミ処理施設を稼動。現在、新クリーンセンター建設が検討されている。
*香川県三豊体育館の運営管理をすることで、地域住民の体力づくりやスポーツ振興に努める。
*電子計算センターは、住民に関する記録、納税通知書の作成、住民情報、税情報、印鑑オンライン等で証明などを集中管理。
*介護審査課は、平成12年からの介護保険制度に対し介護認定審査会が、平成18年からの障害者自立支援法に対し介護給付等認定審査会が、審査判定事務を行っている。
*常備消防である広域消防は、火災・救急・救助を行っている。消防本部・南消防・南消防第一分署・北消防・北消防第二分署・北消防第一消防・防災センターを有する。
*三豊ふるさと市町村圏基金の活用。平成元年から、1市9町からの出資と香川県からの助成で、10億円のふるさと市町村圏基金を設置して、運用益でソフト事業を展開している。
1市9町時代から2市となり、各々のまちが広域的要素を持った今、これからに向けての三豊地域をにらんだ広域事業とはどのような姿なのかを組み立て直さなくてはならないのではないのでしょうか。
三観広域の主旨と理念、そして目的の発想の原点に立ち返る時が来ていると思っています。

クリーンセンターについて

4月12日(木)、三豊市議会議員全員による全員協議会において、三豊市・観音寺市広域行政組合の新クリーンセンター建設に関する協議が行われました。
前回の広域議会で、三豊市が観音寺市案(奥谷地区に全溶融炉建設)に合意できないのであるならば5月までに対案を出すよう求められていました。
それに対し、三豊市では京都のバイオガス化技術施設の視察研修などを行い、具体的な対案の検討が進められていました。
ところが、5月を待たずに観音寺市よりこれまでに掛かった地元対策事業費と、19年度及びこれ以降に発生するであろうその費用、更に施設建設(観音寺市案)に係る事項(建設を実質了承する内容)に付いての協定書の締結要請がきたのでした。
三豊市としては、対案提案の約束の期限である5月を待たずして、観音寺市案を受け入れるわけには行かないとの意見が多く出されました。しかしながら、これまでの経緯が観音寺市に丸投げ状態であったことや、他の三観広域事業への影響を考慮し、覚書に止めるよう求めることとしました。
他、今調査研究中の三豊市案のバイオガス化と、観音寺市案の全溶融炉の検討比較の説明がされました。
三豊市の方針は、“ゴミは資源である”を基本的な考え方としており、全溶融炉によるすべてを燃やし尽くす発想の対極にあります。ダイオキシンを出さない。地球温暖化はさせない。地球環境への負荷を小さくする。この基本姿勢に変わりはありません。
その一つの方法が、生ゴミのバイオガス化です。
これをを対案として、今後急ぎ建設候補地の選定を行うこととなります。
もし、観音寺市との交渉の末にバイオガス化に決定したとしても、生ゴミと廃プラ(石炭代替エネルギーとなる)以外の可燃ゴミはやっぱり焼却が必要となります。
焼却施設については、近隣施設の利用の再検討が最も現実的であると考えられます。
直島の施設は、日量250トンの処理能力を持ち、豊島のゴミ処理は10年計画で5年を経過しています。
5年後には計画完了の予定となっています。
また、丸亀・多度津の施設は直島に匹敵する処理能力を持ち、日量250トン規模で、人口14万人を対象の事業のために受入実績は、日量120トンといわれ、ゴミの量が不足している現状となっています。
このような現状を総合的に見極めてゆかなければ将来に大きな禍根を残しかねません。
ゴミ問題は、未来社会をどのような思想に基づき描いてゆくのかの試金石にもなります。舵の切り方によって生活環境は大きく変わるのだと思います。

卒業式は1歩踏み出す日

年度替りで自治会の総会や保幼小中学校の教育関係の卒入学式・先生方の歓送迎会、そして花見などが集中した慌しい日々でした。
3月議会終了後の整理も付かぬままの諸行事への参加で、気を紛らわせ時の過ぎ行くままに身を任せていたような状況でした。
市民の皆様への報告を早急にまとめなければと動き始めています。
三豊市の「まちづくり」に与える影響の大きな問題が多く、慎重に取り組まなければと思っています。
私の心の区切りとして、母校である三豊市立桑山小学校の卒業生に(私自身へも)送ったお祝いの(鼓舞する)言葉をここに記します。
22名の卒業生の皆さんご卒業おめでとうございます。
皆さんが待ちに待った晴れの卒業式を心からお祝いいたします。
6年前の春、満開の桜の中をご家族の方に手を引かれ入学した日のことを憶えていますか。
私はその日を思い出しています。
私もPTA会長の1年目の初めての入学式で緊張していました。
そのころ学校で飼っていた、「母親ヤギのミルキーとその子どもたちのミミ・ルル・キキが皆さんの入学を喜んでいますよ」と私が話すと、皆さんの目がニッコリとしたことで、私も緊張がほぐれホッとしたことを憶えています。
皆さんはあの日から6年間、どんな日にもくじけず頑張ってきました。本当に立派になりました。
4月からは中学生になりますが、小学校で学んだことを基礎にして勉強にクラブ活動に励み、立派な中学生になってください。
見守っていますよ。
保護者の皆さん、お子様のご卒業おめでとうございます。心からお慶び申し上げます。
お子様の成長した姿を前にさぞ感慨ひとしおだと思います。
今、教育現場や教育改革の中で様々な議論がされていますが、例え制度が変わったとしても教育の本質は変わろうはずはありません。
これから中学生になろうとするお子様は、新たな目標(夢)の旗を掲げ、その旗をはためかせていただきたいと思います。
中学生になったお子様の目標は、今までの目標とは違います。
ちょっと勉強を頑張って成績を上げようという目標の旗は、保護者の皆さんが風を送ることではためくかも知れません。
しかし、これからのお子様の持つべき目標(夢)は、保護者の皆さんの力だけでははためき、そして、たなびくものではないと思います。
自ら掲げた目標(夢)の旗をはためかせたなびかせるためには、お子様自らが自分の足で1歩踏み出し、その旗を掲げ走り出すより他にありません。
そのような教育・家庭環境を作っていただけますことをお願いしたいと思います。そうすることで、必ずや立派な大人へと成長するものと思います。
最後になりましたが、校長先生をはじめ諸先生方のこれまでのご労苦と、ご臨席の地域代表の皆様のお力添えに感謝すると共に、皆様方のご健康ご多幸、そして卒業生22名の未来が拓かれますことをお祈りし、お祝いの言葉といたします。
卒業生の皆さんありがとう。
皆さんへのお祝いの挨拶の機会をいただいたおかげで、1歩のつながりが道を創っていることを思い出させていただきました。

桑山芸能発表会

18年度末の3月31日(土)、三豊市豊中町公民館桑山分館主催による「第22回桑山芸能発表会」があり、挨拶の機会を頂きましたので、常々思ったり感じたりしていることをお話させていただきました。
皆さん、こんにちわ。
お花見シーズンを目前にし、1年で最も心地良い時候を迎えようとしています。
このすばらしい季節の中で、「第22回桑山芸能発表会」がこのように盛大に開催されますことを心よりお慶び申し上げます。
この芸能発表会が、地域の皆さんの力で22回も続いていることはすごいことです。
「続ける」ということについて、お話をしたいと思います。
私も陶芸をしておりしばしば思うことがあります。芸能とは少し違うかもしれませんが、同じ芸の道という意味ではよく似ているのかも知れません。
すべての芸の道にいえることは、続けるということが最も大切なことなのだろうと思っています。継続の中に或る日突然に気づきが訪れることがあります。それが「上手くなった」とか「芸が変わった」ということだと思います。続けていなくては決して経験することのできないことって有ると思うのです。
そして、出演者の皆さんにとって今日の発表会が、年に一度のたゆみのない修練の成果の披露の場として、続いていることは本当にすばらしいことであると思っています。
人が本当に健康であるとは、心身共に健康であるということです。芸能に触れることは心の健康増進に繋がることだと思います。
出演者の皆さんは、日ごろの修練の成果を余すところなく発揮していただき、また、観客の皆さんは芸に満喫していただき、益々の心の健康増進にお役立ていただけたらと思います。
最後になりましたが、桑山分館の岩本館長はじめ諸団体の皆さんの御労苦に感謝すると共に、ご来場の皆さん並びに出演者の皆さんのご健康と、桑山芸能発表会の益々の発展をお祈りしお祝いの言葉といたします。
私も一曲歌わせていただきました。
この一曲のために、なんと、20年ぶりに“うちん家(うちんき)”の奥さんと水いらずでのカラオケボックスでの缶詰特訓となってしまいました?
芸能発表会の威力は、こんなご利益(災い?)を生むなんて想像を超えています。
「来年は俺にも歌わせろ」と、岩本館長は張り切っています。えらいこっちゃ!

三豊市にもあった!バイオディーゼル燃料施設

3月議会閉会の翌日の29日(木)、「NPO法人 香川ボランティア・NPOネットワーク」の合田さんのご手配で、知的障害者援護施設である高瀬荘の廃食用油燃料化施設の見学の機会を頂きました。
この施設は、社会福祉法人鵜足津福祉会グループの一施設で、知的障害者の雇用の場となっています。
現在、市外(善通寺市・多度津町・丸亀市学校給食など)から5に対し、市内(山本地域・学校と事業所給食・病院など)から1の割合で、使用済みてんぷら油を収集し、原料としてバイオディーゼル燃料を精製しています。
一月あたり3から4日の稼動で、3,000リットル程度精製しており、当法人が所有する車両30数台分の燃料として使用しています。
月産精製能力として、900リットル槽1バッチ24から25日稼動で約25キロリットルとなり、もし2バッチ稼動すれば最大約50キロリットルを見込むことができます。
この量は、200リットルドラム缶で250本分に相当します。
ちなみに、一般家庭の出す使用済みてんぷら油の1月あたりの平均量は、350ミリリットル(0.35リットル)といわれ、回収世帯換算すると約10万世帯以上が対応可能といえます。勿論、給食センターや事業所などの廃食用油もありますから、まったくこの通りの計算にはなりませんが、施設能力の全体イメージがつかめると思います。
三豊市の「ゴミ0作戦」と「三豊市・観音寺市広域事業」の資源回収についての、新たな切り口の可能性を感じる見学となりました。
見学の手配を頂いた合田さんと、丁寧に説明をしていただいた高瀬荘の入所授産施設副施設長の片岡さには本当にお世話になりました。

ゴミ処理問題の行方

三豊市・観音寺市広域組合のクリーンセンター問題が激動期を迎えています。
1月21日、観音寺市粟井町奥谷地区が新クリーンセンター建設受け入れに同意したことに対し、その建設の可否の三豊市の対応が迫られています。
現在の観音寺市案は、日量156トンの生ゴミを含むすべての可燃ごみを焼却する溶融炉建設です。
12月12日に三豊市議会の全員協議会に提示された、この観音寺市案(平成18年12月17日に掲載)に対する三豊市の結論と代替案を5月までに提示しなければならない状況になっています。
その中、3月23日(金)三豊市案のゴミ処理の方向を見定めるための先進地視察研修に行ってきました。
訪れた京都市のバイオマス化技術実証研究プラントは、観光地でもある当市が平成11~14年度の3年に渡り、旅館やホテルの生ゴミ、市場の野菜くずや剪定草木、古紙などの様々な条件で運転を実証してきたものでした。
バイオガス化技術とは、何もかもを燃やし尽くす溶融炉の発想とは対極にあり、生ゴミを含む可燃ゴミから電気を得るという循環型社会の実現のための一つの方法です。生ゴミ・食品廃棄物・草木類などを発酵し、メタンガスに変換し発電するというものです。
この方法の優れたところは、三豊市の可燃ごみの回収の現状を少し向上することで対応可能であるということです。
このことにおいては、同時に説明された京都府南丹市で実用化されている「カンポリサイクルプラザ」のバイオリサイクル施設の説明は、そっくりそのまんま三豊市と観音寺市の現状に適したものであるとの認識を得ました。
観音寺市案の新クリーンセンター溶融炉の提案処理能力は、日量156トンです。
全国的調査では、市民生活から出る可燃ゴミの内、生ゴミがおおよそ3分の1を占めることがわかっています。
三豊市・観音寺市広域の生ゴミは、156トンの3分の1の50~60トンと見込まれ、まさにこのプラントは当広域を想定したようなモデル施設と感じられました。
受入・前処理工程、発酵工程、ガス利用工程、発酵残渣処理と、大きく分けて4工程となっており、処理能力50トンを有しています。
ゴミ1トンあたり200㎥のメタンガス収率で換算すれば、10,000㎥のメタンガスとそれによる15,000キロワットの発電(1,500世帯)が得られるシステムとなります。
残渣は熟成ヤードで2次発酵され、選別工程を経てコンポストとなり大地へ帰り、廃プラは石炭代替燃料となり再資源となります。
発想の原点は、ゴミは資源であり循環するものであるということです。
直径7メートル・長さ40メートルの発酵槽が1系で、日量25~30トンの処理能力で概算設備費25~30億円(トン当たり1億円)の建設予算が必要との説明です。
この発酵槽2系で50~60トンのシステムで、50~60億円の投資となります。
施設建設経費として溶融炉110億円に対し50~60億円と、周辺整備経費がどれくらい掛かるのかなど、検討は重要です。
ゴミに対する考え方と思想によって、未来社会が抱えるコストと生活環境に大きな影響を及ぼすと思われます。
この研修を三豊市・観音寺市広域のクリーンセンター問題の進展につなげなくてはならないと思っています。