9月議会と12月議会の間の2ヶ月は、常任委員会や特別委員会などの視察研修が続いています。
11月9日(水)と10日(木)の2日間の日程で、和歌山県紀の川市と大阪府泉南郡熊取町での、三豊市議会広報委員会の視察研修を行いました。
目的は、 「議会広報紙の充実」 と、 「議会改革における広報公聴活動について」 です。
最初に訪問した紀の川市は、人口67,000人、面積228.24k㎡で、三豊市とほぼ同規模の類似自治体です。
議会広報紙 『こんにちわ 議会です』 は、近畿市町村広報紙コンクール優秀賞を受賞するなど、高い評価を受けています。
市広報紙とは別発行をおこなっており、多少の経費増が必要であったとしても、議会の意見や状況をしっかり伝えたいとの方針です。
配布の方法は、市広報紙と同便で、委託業者によって漏れなく全戸に届けられています。
現在三豊市で行っている自治会ごとの配布に対して、この方法は自治会未加入のすべての市民に公平に市及び議会の情報が届けられることにおいて、検討に値すると思います。
議会広報紙の役割は、市政の動きを伝えるにしても、決定に向けいかに審議されどのように決定されたのかを伝えることです。
決定したことや事後報告が主である市広報紙に対して、明らかに違いがあるということで、市広報紙に対して対抗心を持って編集に当たっています。
三豊市議会広報紙は、市広報紙と同冊となっているため、ページ数が限られ窮屈な条件の中で編集を行っています。
市広報紙とは別冊の単独による発行の有用性を再確認することができました。
紀の川市議会広報委員会の全委員出席による研修となり、議会広報紙編集発行に対する熱意が強く伝わってきました。
「編集に携わることで、多様な考え方があることに気付くと伴に、議員同士の勉強にもなっている。」 との言葉は、議会広報の本質的役割の一面を言い当てていると感じました。
次期ごみ処理業務委託候補者募集要項
9月28日付けのこの場でお伝えした、三豊市次期ごみ処理施設の方式を実現するために、11月7日(月)に開催されたごみ処理問題調査特別委員会では、 「三豊市次期ごみ処理業務委託候補者募集要領(案)」 の提案がされました。
すでに当特別委員会で決定した(議員全員が出席する全員協議会で鴨田委員長より報告済み)、
◎処理方式
トンネルコンポスト方式(固形燃料原料及び堆肥原料の製造)
◎運営方法
民設民営を基本とする
この2点を実現し、三豊市の “燃やせるごみ” の処理を任せることのできる、民間事業者の候補者を決定するためです。
募集実施スケジュールは、
平成23年11月17日(木)・・・募集開始(質疑の受付)
平成23年11月24日(木)PM5時・・・質疑の受付終了
平成23年12月1日(木)・・・質疑の回答
平成24年1月11日(水)PM5時・・・募集終了(提案書の提出期限)
平成24年1月17日(火)・・・ヒヤリング
平成24年1月19日(木)・・・募集結果の公表
となっています。
私は、三豊市単独での 「市税を投入したごみ処理施設建設」 は必要ないと考えています。
ただし、超広域(香川県の西半分)でのごみ処理施設は必要だと思っています。
基本的に、現社会のごみは大部分が、民間によってつくられた物が市民(国民)を経由して排出されているにすぎません。
それをなぜ、財政力の弱い基本自治体が処理の責任を負わなければならないのでしょうか。
カビの生えた時代に合わない法律がそこにあったとしても、それを糺し民は民で処理をする道筋をつけるべきなのです。
それだけの社会システムは、この日本では成熟しています。
それでも最終処分施設は必要です。
その時点で初めて市税の投入は許され、それそれの自治体が予算を出し合って、超広域による最新のごみ処理施設を建設すればよいのです。
その時のために、 “燃やせるごみ” を可能な限り減量し、超広域ごみ処理施設への搬入量を可能な限り減量化する必要があるのです。
その意味で、トンネルコンポト方式(段ボールコンポスト・EMボカシ巨大施設)は 市税をほとんど投入しない “燃やせるごみ” の減量化施設なのです。
三豊市民クラブ 視察研修・3
三豊市民クラブ会派の視察研修最終日である10月26日(水)は、(財)日本自治創造学会主催の 「第3回 2011年度 日本自治創造学会 仙台大会」 に参加しました。
本年度の大会は、3・11東日本大震災によって突きつけられた、地域の復興のための自治とは何かを研究するために、被災地である仙台市にある東北福祉大学を会場として開催されました。
東京大学教授(政治学)で東日本大震災復興構想会議・議長代理の御厨貴先生から 「大震災からの復興~復興ビジョンと政治の力」 で、 復興構想会議がどのような状況で進められたのかや、なぜ復興支援が遅れたのかのお話がありました。
管首相(当時)に復興に対する独自の考えがなかったことが大きな原因であるとのお話があり、このようなリーダー不在の混乱の中行われた復興会議だが、若き官僚たちは省庁の壁を取り払い、すばらしい働きをしてくれました。
今、復興に取り組む被災自治体が求める人材とは、国がどのような支援策を執ろうとしているのかの情報を入手するための、国と地方をつなぐ役割を担う者だ、とのお話をいただきました。
東京大学教授(都市工学)で農学博士の石川幹子先生からは 「復興ビジョンと共生のまちづくり」 で、2008年発生した中国四川大地震の現地調査と復興支援で導き出された 『ペアリング支援』 の考え方のお話がありました。
東日本大震災においても行われた、顔の見える支援の一つとして復興を持続的に支援する仕組みとしてこの考えが有効でした。
また、復興に向けた基本的な考え方や、多重防御によるインフラ整備の発想転換と、逃げる計画のお話がありました。
他、地方自治政策研究所理事長で前志木市長の穂坂邦夫先生から、 「復興のまちづくり、自治の再生」 のお話がありました。
後半には、被災自治体からの報告として、佐藤仁宮城県南三陸町長、山本正徳岩手県宮古市長からの、それぞれの 「被災実態と復興への挑戦」 が話されました。
当事者ならではの魂のこもった臨場感のある報告でした。
いずれのお話も、前日の午後の南三陸町、当日の午前の仙台空港周辺と名取市の被災現場を直にこの目で見た直後であっただけに、伝わるものは尋常ではありませんでした。
視察研修の何たるかを実感したのでした。
以上で、3日間の三豊市民クラブ会派 視察研修報告を終わります。
三豊市民クラブ 視察研修・2
三豊市民クラブ会派の視察研修2日目に訪問したのは、3・11東日本大震災で甚大な災害を被った宮城県の現地視察と、自らが被災したにもかかわらず、三陸沿岸の津波で壊滅した市町村の後方支援を行った登米市です。
都召し登米市は、宮城県北東部の内陸部にあり、人口85,000人、面積536K㎡で、北上川が市内に横たわり広大な肥沃な土地で、県内有数の穀倉地として 「ササニシキ」 「ヒトメボレ」 の産地として有名です。
研修の目的は、社会インフラの中でも最重要である水道事業の被害と復旧状況及び、災害時に備えるべき対応を学ぶためです。
登米市には7ヶ所の浄水場があり、3月11日の本震及び4月7日の余震で、すべての施設が停電破損し停止しました。
また、5月11日、8月13日の2回の余震においても、主要浄水場で保呂羽浄水場はその都度取水ポンプ故障が発生しました。
現在も、この浄水場のポンプは修繕中で、仮設取水施設で対応しています。
他の6ヵ所の内4施設は復旧済みですが、2施設は未だに復旧着手中です。
4ヵ所ある配水池は、緊急遮断弁の作動はしたものの、本震ですべての施設が何らかの被害を受け、破損漏水しました。
1ヵ所を除いて未だに復旧中です。
主要管は、本震と余震でほとんどが影響を被り、漏水が発生しました。
一部復旧はしているものの、ほとんどを仮設対応しています。
また、一般給水管では701ヵ所の漏水があり、復旧済みが632ヵ所、仮設30ヵ所、工事中39ヵ所となっています。
震災発生以来既に7ヶ月以上過ぎたこの時点においても、完全復旧にはまだまだ時間を要します。
これまでに水道関係の災害復旧に要した額は、3月22日の専決処分から臨時議会と6月・9月の3回の補正を合わせて、11億円以上となっています。
着手中の工事や仮設から復旧にかかる今後の事業費は、大幅に増加するものと考えられます。
水道料金は、基本料金を2分の1に減額し、使用が不能な市民に対しては、3月11日職権休止しており、給水開始申し込みがあるまで請求しないこととしています。
減免金額は、6,800万円を超えています。
また、給水装置工事は、罹災証明書に基づき、金額を減免しています。
その額は、3,000万円ほどです。
次に、今回の大災害を教訓としての震災対策についてです。
(1) 施設の耐震化は計画的な整備が必要であり、特に取水施設の耐震化は速やかな市民生活再生の根幹であるために、重要事業です。
(2) 過去発生した浄水場濁水事故で、災害訓練を実施していました。
平時の想定された事故に対する訓練が大いに役に立ったとはいえませんが、訓練していたことによって大きな混乱にならなかったことから、日頃の訓練が有効でであると考えられます。
(3) 水道事業所の職員だけでは、すべてに対応するのは不可能でした。
ただ、当市では 「水道事業料金徴収等管理業務委託」 を行っており、この受託業者及び管工事業協同組合と、災害応援協定を結んでいます。
さらに、本年4月1日から委託予定であった浄水施設管理運転業務受託者とも協定締結の予定であったため、人数の確保ができました。
他にも、災害協定を結んでいない事業者からも応援がありました。
これらのことから、大規模な断水発生時には人数の確保が必要であり、職員及び協定業者の震度5での自動召集も採用しています。
平時の召集・情報伝達訓練では、防災無線などの電源を必要とする通信手段が使用できますが、停電した場合まったく用を足さなくなります。
このような場合にも情報のやり取りができる方法(携帯メールや広報車など)を備えておく必要があります。
(4) 平時の災害マニュアルでは、市全域での断水は想定されていなかったため、給水活動が動き出すまでに混乱しました。
その解消のために、新たに1tタンクを20基常備しました。
自らも被災する中、南三陸町へ給水車を派遣し給水応援するなど登米市は後方支援拠点自治体として役割を果たしてきました。
研修の対応をしてくださった田口議長はじめ市職員の皆団には、未曾有の大災害などなかったような活力を感じました。
被災地での研修にたいして、出発前には賛否の様々な意見もありました。
しかしながら、研修の終わりにあった 「この現実を全国の皆さんに是非見に来て欲しい」 との言葉で、この地を研修先に選んだことが間違いではなかったことを確信しました。
登米市での学びを、三豊市の災害対策に活かし、無駄にしないように活用しなければならないと思います。
三豊市民クラブ 視察研修・1-②
地域医療セミナーの二人目の講師は、福井県おおい町国民健康保険名田庄診療所所長 中村伸一先生です。
過疎高齢化の著しい地域唯一の診療所で、20年近くの間、寄りそう医療を実践してきました。
その活動は、NHKのテレビ番組 『プロフェッショナル 仕事の流儀】 でも紹介されました。
「自宅で大往生~地域に寄りそう医療の形~」 の演題で、小野剛先生の取り組みとあわせ、医師不足や医療崩壊などといわれる今日の医療の抱える大きな問題の、解決の糸口になるお話でした。
ここ2~3年、マスコミの取材が多いのですが、特別なことをやってきたわけではないことを伝えています。
「当たり前のことを当たり前にたってきた」 ことと、 「地域の人に支えられてきた」 ことです。
今はインターネットなどで広くつながりを持てる時代ですが、名田庄に赴任当時はそのようなものはなく、地域が強いつながりで成り立っていることを感じました。
どこの誰であるかを屋号で呼び合ったり、家族3~4世代同居は当たり前で、家で死にたいという願いが強かったのです。
往診して初めて知ったことは、高齢者の患者が足を引きずり必至になって通院していたことや、長年寝たきりで3年以上も風呂に入っていないこと、病気がきっかけでじいさんとばあさんが、施設と子ども宅に別々に暮らさなければならなくなったことの、地域の現実でした。
そのことが、普通の医療・福祉・介護の困難な状況が生まれていたのかを考えるきっかけとなりました。
この地域の人々は、 「家で最期を迎えたい」 と願い、家族もそれを支えようと思っているのです。
この思いに応えようと、平成3年、保健・医療・福祉を連携するために、役場の住民福祉課・診療所・老人福祉センター・社会福祉協議会からなる 「健康と福祉を考える会」 を結成しました。
福祉バス(ふれあい号)を購入し、バスによる移動デイサービスを開始して、気がつけば年間900件もの訪問の実績をあげていました。
一方で、在宅ケア講座で育ったデイサービスボランティア 『やすらぎ会』 の活躍で、住民を巻き込んだ活動が展開されてきました。
平成11年には、保健・医療・福祉の総合施設である 「あっとほ~む いきいき館」 が完成し、私が診療所長と保健福祉課長を兼任して、医師2名・常勤スタッフ28名体制で、ハードとソフトともに地域を支える基盤が整い、保健・医療の統合ができました。
この体制のおかげで、平成12年度からの介護保険制度導入には、課長として業務を順調に進めることもできました。
これまで 「小さな診療所だからこそできること」 を探してきました。
診断・治療・看取りのすべてに関わってきたことや、致命的誤診と自分自身が病気を患ったことで、自分が 「地域を支えているつもり」 が、実は 「地域に育てられ、地域に支えられてきたのは自分自身だった」 ことに気付いたのです。
「医療崩壊」と言われていますが、その根底には患者側と医療者側の相互不信があるようです。
その大きな溝を埋めるには、 「お互い様」 の心を持った相互信頼がなくてはなりません。
できる限り短い入院で治療し、あとは自宅で最期を迎え、看取るのです。
私は、それに寄りそうのです。
“自宅で大往生” できる寄りそう医療がこれからの地域医療の形になるのだろうと思いました。
折りしも、三豊市粟島の診療所閉院の動きがありました。
昭和31年から55年間、民間医療機関として塩月先生が診療に当たってこられましたが、高齢のため閉院したいとのことでした。
三豊・観音寺医師会の調整で、医師を派遣していただけることとなり、今後、三豊市国民健康保険直営診療所として、医師1名と看護師2名体制で、次代の地域医療機関として再出発することとなります。
塩月先生長い間本当にお疲れ様でした。
中村先生の人柄が伝わる人間味溢れるお話は、当市の具体的な事例と重なり、地域医療に対する心構えを示唆してくれたものと思います。
三豊市民クラブ 視察研修・1-①
前回までの総務教育常任委員会視察研修報告に替わり、今回からは、10月24日(月)から26日(水)までの3日間の日程で行った、三豊市民クラブの会派視察研修報告をします。
10月24日は東京で開催された、全国自治体病院経営都市議会協議会 「第7回地域医療政策セミナー」 に、25日は宮城県登米市での東日本大震災に伴う対応を、26日は仙台市で開催された(財)日本自治創造学会 「大震災を越えてー地域の復興と自治の再生ー」 に参加する、視察研修を行いました。
地域医療セミナーでは、秋田県横手市立大森病院院長 小野剛先生と、福井県おおい町国民健康保険名田庄診療所所長 中村伸一先生の講演がありました。
今回の報告は、市立大森病院の小野院長のお話です。
「地域密着型の病院を目指して~市立大森病院の取り組み~」 と題して、地方の自治体病院の役割と新たな試みの報告がありました。
平成17年の1市7町村の合併により横手市の病院事業は、急性期の市立横手病院(246床)とケアミックスの市立大森病院(150床)の二つになりました。
いづれも地方公営企業法全部適用しています。
小野院長の市立大森病院は、健康医療福祉総合施設 『健康の丘 おおもり』 にあります。
この病院を ”地域包括医療・ケア” の中心施設として、「健康福祉センター」 「特別養護老人ホーム」「介護老人保健施設」 「デイサービスセンター」 「グループホーム」などの8施設で、健康の丘全体の定員は約600名となっています。
【“地域包括医療・ケア” とは、治療(キュア)のみならず保健サービス(健康づくり)、在宅ケア、リハビリテーション、福祉・介護サービスのすべてを包含するもので、施設ケアと在宅ケアの連携及び住民参加のもとに、地域ぐるみの生活・ノーマライゼーションを視野に入れた全人的医療・ケア】(資料転記)のことです。
この考えの実践は、 「夕暮れ診療」 や 「女性専用外来」 の開設、訪問診療、訪問看護、訪問リハビリテーション、予防医療への対応などで、国保診療施設の理念にもとづき、保険・医療・福祉・介護の連携による地域に密着した信頼される病院づくりを行っています。
これからの日本が抱える問題は、
・75歳以上の高齢者増
・独居老人増
・認知症の高齢者増
・2030年まで40万人死亡者増による看取り先の確保難
があります。
これらを見据えた小野先生の描く地域医療の未来像は、CureからCareへ移行した、ケアミックスによる “地域包括医療・ケア” です。
・「治す医療」から「支える医療」へ
・「入院中心の医療」から「在宅中心の医療」への転換
・「支える医療」の充実とともに、「治す医療」と「支える医療」の連携を深めることが重要
これの実現に向けて日々取り組んでいます。
明確な方向性を示すためには、確かな思いが必要です。
地域密着型の病院を目指すという鮮明な目標に向かって、新たな地域医療の展開を実践していることがよく理解できました。
地方や地域に限らずいえることがあります。
そこには、情熱を持って諦めずに取り組み続ける人がいるということです。
医療技術や制度をどの方向に進化させていこうとするのも、それをどのように扱うのかも、結局人なのです。
総務教育常任委員会視察研修・3
3日間の日程で行いました総務教育常任委員会視察研修報告の最後は、隠岐國・海士町(おきのくに・あまちょう)です。
I・Uターンで日本一活力のあるまちとして脚光を浴びているこのまちは、島根県沖の日本海約60kmに浮かぶ隠岐諸島の一つです。
フェリーで約3時間もかかる不便だと思われる島が、なぜ若者に魅力のあるまちとなっているのか。
この謎の解明が、三豊市の未来のまちづくりの気付きにつながることを期待して、研修先に選定しました。
「職員が変われば役場が変わり、役場が変われば住民も変わり、住民が変われば地域(島)が変わる・・・それが地域再生の最大のポイントである。」
この考え方が海士町のまちづくりの原点です。
山内町長の就任により、平成の大合併の嵐が吹く中、単独町制を決断しました。
財政シミュレーションでは、平成22年には 「財政再建団体」 になるとの予測がされ、住民代表と町議会、行政が一体となって、島の生き残りをかけた 「海士町自立促進プラン」 を策定(H16)しました。
基本的戦略は、行財政改革によって 「守り」 を固める一方で、 「攻め」 の方策として新産業創出を推進する両面作戦でした。
先ず、生き残るための守りの戦略(短期戦略)として、 「自ら身を削らない改革は指示されない。」 の信念のもと、町長を筆頭に三役と議会、管理職の給与の自主減額を断行しました。
平行して、生き残るための攻めの戦略(中・長期戦略)として、地域資源を活かした新産業を創り、雇用の場を増やし、外貨を獲得することの一点突破の方針を定めました。
攻めの実行部隊となる、 【交流促進課(観光と定住対策)】 【地産地商課(第1次産業の振興)】 【産業創出課(新たな産業の創出)】 の、産業3課を設置しました。
これらを、町(島)の玄関で情報発信基地である港のターミナルのワンフロアーに置き、ニーズを肌で感じる現場重視の展開を行いました。(現場でしか知れないものを見落とすな)
この計画の指針となる 「地域再生計画(海士デパートメントストアプラン)」 を策定し、島全体をデパートの階層に見立てて、島の味覚や魅力を島まるごと全国に届けることとしました。
産業振興のキーワードを 『海』・『潮風』・『塩』 の三本柱にして、総合力でふるさと振興を目指しました。
最初からメイン・ターゲットを東京におき、厳しい評価を受けながらブランド化していきました。
この取り組みの中で、『海』では、「さざえカレー」や岩牡蠣「春香」、CAS冷凍による旬感凍結「活いか」が。
『潮風』では、島うまれ、島育ち「隠岐牛」が。
『塩』では、ミネラル豊富な「海士乃塩」をつかった、いくつかの伝統料理が生まれています。
I・Uターンの若者たちが地域産業として起業に挑戦し、地域経済活性化が特段に図られています。
地域活性化の条件は、
*自分たちの地域は自ら守り、地域の未来は自ら築く。・・・それが自治の原点である。
*地域の活性化の源は「交流」にある。・・・異質なものを取り入れ多様性を持ち互いに変化し成長する。
*若者・よそ者・馬鹿者がいれば地域は動く。・・・動けば必ず変わる。
*退路を断たれれば先に進むしかない。
*ハンデをアドバンテージに変える知恵を出す。
*活性化とは惰性の仕組みを変えること。・・・仕組みを変えるためにいかにエネルギーを使うかで可能となる。
最後に、地域活性化のキーマンである “ヨソ者” “若者” “バカ者” の、<もっているもの> <求めているもの> の話がありました。
<もっているもの>
新しい知識・スキル
エネルギー・やる気
しがらみのない柔軟な発想
<求めているもの>
チャンス・活躍の場
経験・知恵
人とのつながり
なのです。
海士町における視察研修で私たちが求めてきたのは、「いま、何をやっているのではなく、なぜ、今、それをやるようになったのか」 を知ることでした。
説明をしていただいた交流促進課の青山課長からいただいた名刺の 「ないものは何もない」 のキャッチコピーや、人工衛星にも応用されているmiura-oriのガイドマップ 『A MAP』 には驚きと感動を覚えました。
「ないものは何もない」 なんでもある
それとも、
「ないものは何もない」 ないもんは無いんじゃ!!
のどちらでもかまわない。
miura-oriなんだから500円で売ってもいいじゃないか。
そんな感性がこのまちの活力なのであろうと、人の力を思い知った動悸の高鳴る、船酔い寸前の研修でした。
今の三豊市は、 「何でもあるようで何もないような」 状態にあります。
私たちの意識を 「何もないようで何かあるような」 に切り替え、足元をしっかり見直すことの当たり前さを気付かされた、 「本当に来てよかった」 隠岐國・海士町の視察研修でした。
4回にわたってお伝えした、視察研修報告を終わります。
総務教育常任委員会視察研修・2
総務教育常任委員会視察研修で、真庭市の次に訪問したのが岡山県美作市(みまさかし)です。
女子ワールドカップで世界一になった、なでしこジャパンのメンバーに、美作市をホームとする 『岡山湯郷Belle』 に所属する2人の選手がいます。
ミッドフィルダーの宮間選手とゴールキーパーの福元選手です。
美作市は岡山県の東の端に位置し、兵庫県に接した中国山地にある面積429.19k㎡、人口30,000人程の、湯郷温泉で名を聞く山間のまちです。
三豊市よりも人口が少なく、面積は2倍近くと広いものの山ばかりのこの地方のまちに、なぜ、時代の先端を行く女性たちが出現したのだろうか。
最大の謎でした。
昭和』63年(1988)、瀬戸大橋架橋記念事業の一環として、県民スポーツの振興と地域振興を図る目的のために、芝3面・人工芝1面・クレー1面のラグビー・サッカー場が建設されました。
その後、これからは女子サッカーが面白いとの情報を得た市長(当時の町長)が、女子サッカーチームの誘致育成を決断しました。
欧米では普通にある、市民が主体で運営するクラブチームをつくろうとしました。
旧美作町で、2001年(平成13年)行政がリーダーシップをとり、全国でもユニークな官民一体の支援を後ろ盾に、女子サッカークラブ 『岡山湯郷Belle』 が誕生しました。
女子サッカークラブ創設は、 「スポーツといで湯のまち」 を復活させるだけでなく、 「青少年の健全育成」 や 「男女共同参画社会の実現」 といった目的が込められています。
女子サッカー誘致のきっかけと、これまでの主な活動はこのようなものがあります。
1991に、アジアカップ女子サッカー選手権大海 日本代表事前キャンプ
2008に、U-20ワールドカップ2008 日本代表事前キャンプ
2009に、北京オリンピックなでしこジャパン事前キャンプ
2011に、ロンドンオリンピック2012女子サッカー なでしこジャパンアジア予選事前キャンプ
ラグビー・サッカー場は県の施設で、市が県から指定管理を受けています。
大規模工事は岡山県が、小規模工事は市が行います。
大きな改修として人工芝の張替えがあり、1億円以上の費用がかかるとのことで、現在、県に要望を出しています。
クラブ運営に必要な資金や選手の雇用は、
2001年には、スポンサー企業が1社のみだったのが、2011年には108社まで増加しています。
選手の雇用は、温泉宿泊事業者や病院、スーパー、スポーツ店、市の嘱託職員などで、午後3時までの勤務で、4時からの練習時間確保ができるなど、地域全体での受け入れと対応が行われています。
遠征などの費用は、年間5千万円ほどかかっており、市の助成は1千2百万円ほどで、他一部は県の補助があるものの、多くは地元支援によって支えられています。
三豊市には、緑ヶ丘運動公園というサッカーの公式試合のできる施設があり、本年度より、四国学院大学へ指定管理委託を行っています。
四国学院から経営支援を受けた香川西高校の、サッカー部のメイン練習場にもなっています。
指定管理委託問題が議論されていたとき、女子サッカーの誘致育成も構想の一つにありました。
女子サッカーの可能性は、日本女子サッカーが世界一となる一年前から考えられていたことでした。
宝山湖多目的広場が概ね整備ができたこともあわせ、美作市に20年以上遅れての取り組みにはなりますが、地域の施設資源を活かしたスポーツによる活性化を推進していくべきだと感じました。
総務教育常任委員会視察研修・1―②
真庭市での研修課題の二つ目は、 「『バイオマスタウン真庭』の取り組み」 です。
三豊市と同様にバイオマスタウンである真庭市は、早くからバイオマスタウン構想のもと、 『バイオマスタウン真庭』 実現に向け積極的に取り組んできました。
真庭地域は、山林が市の面積の約8割を占め、林業・木材産業の集散地であることから、構想の中心にあるのは木質バイオマスです。
『バイオマスタウン真庭』 へのさきがけは、平成5年創設の木質バイオマスを活用した新産業創出を、地域づくり・まちづくりとして捉えた 「21世紀の真庭」 の活動です。
平成13年には、木質資源活用産業クラスター構想が策定され、平成15年には、 「真庭フォーラム 『バイオマス・マニワ宣言』」 が採択されました。
平成18年の 「真庭市バイオマス利活用計画」 策定で、 『バイオマスタウン真庭』 の第1ステージがスタートしました。
この中の事業は、
*木質バイオエタノール製造実証プラント(三井造船のプラントを誘致)
*NEDO委託事業(林地残材、樹皮などの未利用資源の燃料化事業)
*バイオマスのマテリアル活用 (木片コンクリート製品)
*バイオマスのエネルギー活用① (バイオマス発電)
*バイオマスのエネルギー活用② (木質ペレット)
*バイオマスのエネルギー活用③ (バイオディーゼル燃料)
*バイオマスツアー真庭 (産業と観光を結びつけたツアーによる情報発信)
*理解醸成事業 (バイオマスとは何かということから地域資源に対する理解を深める)
などが実施されています。
これまでの実績に基づいて 『バイオマスタウン真庭』 の第2ステージが始まっています。
一定の基盤が整備されたことで、今は付加価値の高い事業に取り組み、バイオマス産業の創出を重点施策として推進しています。
*真庭市バイオマスリファイナリー事業推進協議会の設立 (バイオマスを原料にして、複数の工程で効率的に利用することに取り組む)
*「真庭バイオマスラボ」 開設 (バイオマスリファイナリーの共同研究、人材育成、産業創出の拠点として、岡山県との共同設置)
他、経済産業省中国経済産業局の 『バイオマス・ファインケミカルズ・リファイナリー・システム構築事業』 や、県の 『森と人が共生するSMART工場モデル実証事業』 を手がけています。
また、地域関係団体・企業対象や大学生対象の人材育成講座の開催、 「国内クレジット認証」 の活用を契機に、県内企業との “未来につなぐ真庭の森づくり協定” の締結ができています。
真庭市の目指す新産業の未来像は、 持続的に成長し続ける地域産業の創造です。
その形は、
・未来価値への投資産業
・地球環境貢献型事業
・地域課題解決型産業
・地域人材排出型事業
の方向性を見定めています。
これらの持続した取り組みが、市民とつくる 「資源循環型の産業と暮らし」 の実現につながって行くのだということです。
『バイオマスタウン三豊』 構想は、竹資源を軸に組まれています。
全国的にも竹資源をバイオマスとして事業展開した、成功事例は見当たりません。
今、三豊市がバイオマスタウン推進室で事業化しようと模索する竹資源の利活用検証事業は、今年度地元企業での本ライン製造を控えています。
竹が産業資源として原料となり製品化され、大量伐採大量処分できるかどうかの瀬戸際に立っています。
東日本災害以降、国の補助事業が不透明となり、予算の見通しが定かでない状況にあって、真庭市がこれまで取り組んできたような事業展開はほとんど考えられません。
三豊市の産業基盤に合致した竹資源バイオマス事業が、三豊市の新産業として報告できるよう、後押しをしていかなければならないと、改めて思った研修でした。
総務教育常任委員会視察研修・1―①
三豊市議会総務教育常任委員会の視察研修を、10月19日(水)から21日(金)の3日間の日程で行いました。
幸いにも天候に恵まれ、岡山県真庭市と美作市、そして島根県隠岐海士町(あまちょう)の3自治体で、予定通り研修を終えることができました。
最初に訪問した真庭市は、岡山県北部の中国山地にあり、面積828k㎡、人口50.000人余の古くから林業が主産業で、温泉や酪農でも有名な高原地方都市です。
真庭市では、 「結婚推進活動事業について」 と 「『バイオマスタウン真庭』の取り組み」 の2件の説明を受けました。
今回の報告は、 「結婚推進活動事業について」 です。
全国の地方都市同様に、この20年間に8,000人以上の著しい人口減少状態にあり、地域の存続に危機感が強くありました。
そんな中、平成17年より 「まにわ縁結び推進委員会」が、平成18年より 「まにわ縁結びサポーター」 を設け、結婚推進事業を本格的に着手しています。
平成21年からは、出会いを求めている男女の情報を推進委員が共有することを目的に、 「まにわ縁結び名簿」 の作成が始まりました。
「まにわ縁結び推進委員会」 は、地域推薦9名、商工会・青年会議所・農業団体などからの推薦9名の、計18名で構成されています。
活動は、情報・交流部会と啓発・イベント部会で、企業との連携やイベントの協力など、幅広い応援態勢で取り組んでいます。
「まにわ縁結びサポーター」 は、旧町(5町)から各5名の25名と、旧村(4村)から各3名の12名の、計37名で構成されています。
活動は、 「まにわ縁結び推進委員会(情報・交流部会)」 との合同での取り組みを行っています。
「まにわ縁結び名簿」 は、平成21年7月より募集開始し、平成23年10月現在男性49名、女性13名の計62名の登録がありますが、女性の登録が少ないのとプライバシーへの配慮から扱いが限定さら、利用実績と効果が思わしくありません。
他に、 「若者イベント実行委員会(New Style in 真庭 実行委員会)」 を市広報誌等で委員公募を行い、平成19年度から事業を実施してきましたが、委員メンバーの個人的な事情もあり活動継続が不可能とのことで、本年3月に一時解散しています。
これに変え、本年度より1イベント15万円補助する事業を設け、イベント企画公募を行っていますが、応募はありません。
真庭市においても試行錯誤であり、大きく変化した結婚に対する価値観に対して、即効性を求めるような事業の限界を感じます。
若者が結婚することが少子高齢化問題の解決になるという打算的な発想ではなく、彼等彼女等の真の幸せとは何か、本当に豊かな生活とは何か、を伴に考えるところからの係わりが欠かせないことも感じています。
それは、取り巻く私たち一人ひとりの生活の足元を見詰め直すことから、始ねなければならないのだと思います。